猫の愛って……
「いつか」、「そのうち」、と思っていること、ありませんか。
わたしにとってそれは、猫との暮らしでした。
子どものころ、犬と猫3匹に囲まれて育ったこともあり、「いつか、家族ができたら(結婚して子どもを産んだらの意)、猫を飼いたいなあ」と、ひとり暮らしを始めたころから、思っていました。
でもですね、40歳を目前に控えたある日、はたと気がつきました。「その『いつか』、もしかしたらやってこないかもしれないぜ」。
気がついてしまったら、善は急げ。動物愛護団体に足を運んだのでした。
そこで出会ったのが、生後半年のハチワレのメス猫・ピールと、キジトラのオス猫・よっちーです。
ふたりは兄弟ではないけれど、保健所から同じタイミングで保護されたそうで、見るからに仲が良さそうでした。
愛護団体の方からは、「メス猫2匹なら穏やかに、オス猫が入ると賑やかな暮らしが待っています」と言われ、メス猫2匹と迷いましたが、ここはオス猫と暮らして、人間のオスと暮らす練習をしよう、と。
名前は預かりボランティアさんに敬意を表して、継承。
「飼いやすい2匹だと思いますよ」といわれたが、わがやにやってくるなり、ベッドに粗相をするピールと、テーブルに乗っかり刺身を盗み食いしようとするよっちー。
なんだか先が思いやられるなー、と少し不安だったものの、ほわほわして、くねくねして、温かくて、じーっとわたしを見つめてくるふたりのつぶらな瞳に、日に日に愛が増します。
ピールは柱で、よっちーはソファで爪とぎしたら、「えらいね、ちゃんと爪とぎできるんだね」。
お気に入りの花瓶を割られても、「えらいね、けがしないように歩けたんだね」。
海外出張から帰宅した日にピールがわたしの目を見ながらベッドで粗相したときには、「お留守番さみしかったんだね。ごめんね」と、猫かわいがり。
まるで子犬のように足元にまとわりつき、お風呂にもトイレにもついてきて、ソファでもベッドでも隣に陣取るふたりに、「わたしのこと、そんなに好きになってくれるの? やだっ、うれしい。ありがと。わたしも、ふたりのこと、大好きだよ。一生一緒にいようね」と喜んでいたのですが、ある日、彼らの愛に対して、疑念が生まれました。
それは友人が遊びに来たときのことです。彼女がトイレに立ち、しばらくして「迎えに来てくれたの?」と、発声しているではありませんか。
なんと、ピールが、友人のことをトイレのドアの外で、待っていたようなんです。
「あれ? わたしにまとわりついてくるのは、わたしのことが好きだからじゃ、なかったの? 誰でもいいの?」
そういう目で見てみると、トイレでもお風呂でも、子どもの後追いというよりは、わたしのことを見張っているみたい。
「あぁ……。これは、自分たちの縄張りでわたしが勝手なことをしていないか、チェックしているんだ……」
ざりざりした舌で眉毛を整えるように毛づくろいしてくれるのは、「お前も自分の毛くらい、自分で毛づくろいしろよ。ぼさぼさしてるぜ。ほら、教えてやるから」のサイン。
朝寝坊すると頭突きしてくるのは、「おい、いつまで寝てやがるんだ。腹が減ったぞ。早く起きてごはんの支度をしろ」の合図。
ソファで膝や胸の上に乗っかってくるのも、ベッドで腕枕して寝るのも、「このほうがあったかいしな」、「ぶよぶよしてるから、やわらかくって気持ちいいぜ」くらいの感じ。
すべては愛の証ではなく、侍女の証。
猫は猫じゃない、お猫様なんだ。
いままでこっちが面倒を見てあげている気でいたけれど、面倒を見させてくれていたんですね。ありがとうございます。
お猫さまがやってきて、6年が経とうとしています。オス猫の甘えんぼにも、気まぐれにも慣れましたが、当初目論んだような、オス人間とは、出会いもありません。
でもいいんです。だって、お猫様がいるから。
彼らは自分のしたいことがはっきりわかっていて、それをしっかり伝えてきます。
トイレをきれいにして。冷たい水はきらい、お湯がいい。ちゅーるちょうだい。なでで。遊んで。ごはん食べるとこ、見てて。いっしょに寝て、腕枕がいいの、その腕の角度はいや、もっときゅっとして。
好き勝手にして、愛されることを疑わないお猫様の態度を、わたしは見習いたいと思うのです。
長谷川未緒(はせがわ・みお)
編集者・ライター。東京外国語大学卒。出版社で絵本の編集などを経て、フリーランスに。暮らしまわりの雑誌、書籍、児童書の編集・執筆などを手がける。天然生活webで「ずっと絵本と。」連載中。リトルプレス[UCAUCA]の編集も。ともに暮らす2匹の猫のおなかに、もふっと顔をうずめるのが好き。
<撮影/神ノ川智早(プロフィール写真)>