• その昔、ヨーロッパの女性たちは刺しゅうを習い、覚え、後日、参考にするためにサンプラーなど 手仕事の見本 をつくりました。一枚の布からも歴史や社会背景がみえる……。手仕事の背景を知る面白さを、ユキ・パリスさんに教えていただきました。
    (『天然生活』2015年3月号掲載)

    「日々の生活をより豊かに、美しく……」先人たちのひたむきな想いの記録

    アルファベットのサンプラー

    画像: イニシャルレッスンのサンプラー ハウスリネンなどにイニシャルを刺しゅうするために。アルファベットや数字を組み合わせて

    イニシャルレッスンのサンプラー
    ハウスリネンなどにイニシャルを刺しゅうするために。アルファベットや数字を組み合わせて

    麻のキャンバス地にウールや綿、絹糸を使ってクロスステッチなどでアルファベットを、細かいところはハーフクロスステッチを使っています。

    これらの多くには、作者の名前や制作年も記されています。グリーンの単色の刺しゅう糸でアルファベットと数字と連続模様を刺した一枚は、学校の教材だったものです。

    そんな布を見ていると、それがつくられた時代や生活、つくり手の手先の器用さまでがみえてくるようです。

    正方形や長方形の布に、さまざまな図案や数々のステッチを組み合わせ、刺しゅうを学び、後日の参考にするようにつくられたのが sample cloth=くだけて、サンプラー と呼ばれるものです。

    刺しゅうの図案本が出版される以前には、自分で、あるいは、ほかの人が刺したサンプラーを見て、図案選びや刺し方の参考にしました。

    「日本は、インドや中国、韓国からさまざまな布装飾の技法が伝わり、絞りや、ろうけつ染め、更紗などもあります。それに比べてヨーロッパでは、布に装飾をする方法は、織物か刺しゅうのみでした。それが、豊かな手仕事の文化が花開いたゆえんです。刺しゅうは針と糸、布があれば、大がかりな道具がなくてもできるもの。だから、ヨーロッパの女性たちは、階級の上下にかかわらず、皆、生活に必要なものとして、刺しゅうをたしなみました。その技術の習得や熟達のためにつくられたのがサンプラーです」

    画像: サンプラーを手に、その歴史をひも解くのも楽しい

    サンプラーを手に、その歴史をひも解くのも楽しい

    なかでも最もポピュラーなものが、アルファベットと数字のサンプラー。

    ヨーロッパには、ハウスリネンと呼ばれる “生活のための布” があります。テーブルクロスやキッチンクロス、シーツや枕カバーといった、麻でつくられた布です。

    昔は、これらを共同の洗濯場で洗濯し、芝生の上に広げて干し、大気中のオゾンの効果で晒して、白くしていたそう。

    そして、ほかの人のものと間違えないようにするために、イニシャルやモノグラムの刺しゅうの印 をつけていました。

    女性たちは5歳になるとアルファベットのサンプラーで刺しゅうを学び、のちに自分や家族のための生活必需品を飾ってきたのです。

    サンプラーは、このほかにも、身近な風景や動植物を刺した「ピクチャーサンプラー」、地図の学習も兼ねた「マップサンプラー」などもあります。

    多くは、つくった人の名前や制作年月日、両親のイニシャルなども刺し、ときには額装して壁に飾り、大切にされてきました。

    広い意味でのサンプラー “教習布”

    「これは、洋服が破れたり、薄くなってしまったりしたときに “かけはぎ” や “かけつぎ” をするときの技法を学んだものです」

    とユキさんが見せてくれたのは、白い麻生地に赤糸でさまざまな織り柄を刺したサンプラー。

    布が破れたときの繕いの見本として、あえて切り抜き、服地の織り柄を刺し埋めたもの。本来は、目立たないよう服地と同じ色でするものですが、練習では、わかりやすいように赤い糸で刺しました。

    「ミシンが登場する以前、多くの人は、衣類や寝具などのハウスリネンは、生地を買って、みずからの手で縫っていました。女子は5歳になると読み書きとともに糸を紡ぎ、編み物や刺しゅう、縫い物を習いはじめました。そして、主に縫い物を学ぶための教材が、サンプラーのあとに登場した “教習布” =スタディクロス です。就職の際には、これが履歴書代わりに使われることもあったのです」

    画像: 少女の刺しゅうサンプラーと繕いのサンプラー 上はかけはぎ、下左は編み物のつぎ、下右はチェックの布のつぎの裏表。中段左は、1886年製、5歳の少女による刺しゅう。わかりやすいように赤一色のクロスステッチで刺されている

    少女の刺しゅうサンプラーと繕いのサンプラー
    上はかけはぎ、下左は編み物のつぎ、下右はチェックの布のつぎの裏表。中段左は、1886年製、5歳の少女による刺しゅう。わかりやすいように赤一色のクロスステッチで刺されている

    教習布も広義ではサンプラーの一種ですが、刺しゅうだけの見本というよりも、さまざまな縫い方を学ぶことが目的で、学校で習いながら、少しずつ卒業までに仕上げたのだといいます。

    細長い布に、ボタンホールや衿のあきの始末、ギャザーの寄せ方やフックの付け方など、あらゆる服やハウスリネンづくりに必要な技法を組み合わせ、制作した教習布。その種類はさまざまです。

    画像: お裁縫仕事のサンプラー ボタンホールにホック付け、ギャザーやあきや袖口の始末など。ミシンで縫ったかのように、細かくていねいに部分縫いが施されている

    お裁縫仕事のサンプラー
    ボタンホールにホック付け、ギャザーやあきや袖口の始末など。ミシンで縫ったかのように、細かくていねいに部分縫いが施されている

    「みんな、本当に一生懸命、練習したのでしょうね。そのなかで女性たちは集中力を養い、仕上げる喜びを味わったのだと思います」

    そのほか、かぎ針編みのパーツを額に納めたものや、棒針でさまざまなレース模様を編んだサンプラーも見られます。

    「これは、オープンワーク(透けた刺しゅう)のサンプラーです。糸を抜いて寄せ、束ねて模様をつくる技法です。本当にさまざまなものがありますね」とユキさん。

    画像: オープンワークのサンプラー 織り糸の一部を抜き、束ね、かがる、オープンワークのサンプラー。下端のレース飾りも、ひと針ひと針つくり上げた

    オープンワークのサンプラー
    織り糸の一部を抜き、束ね、かがる、オープンワークのサンプラー。下端のレース飾りも、ひと針ひと針つくり上げた

    どれも、いかに真剣にひたむきにつくられたかが伝わってくるものばかりです。

    便利な機械による大量生産も、既製服もなかった時代、身のまわりのものを自分の手でつくるために、その技を一枚の布や編み物で学んで記録した……。

    サンプラーが私たちの心をひきつけるのは、そこに、習い、学び、飛躍させるという、先人たちがコツコツとつくり上げた時間を感じるからなのかもしれません。

    画像: 編み物のサンプラー かぎ針のレースの見本。実用のための蓄積が美しいデザインに

    編み物のサンプラー
    かぎ針のレースの見本。実用のための蓄積が美しいデザインに

    画像: 棒針の靴下。上中央は、デザイナー、ヨーガン・レール氏の高祖母の方がつくられた1850年のもの。氏より寄贈

    棒針の靴下。上中央は、デザイナー、ヨーガン・レール氏の高祖母の方がつくられた1850年のもの。氏より寄贈

    手仕事の向こう側にあるものを探して

    今から45年前、結婚し、デンマークで暮らしはじめたユキさん。

    ヨーロッパの手仕事と関わるきっかけとなったのは、王立工芸博物館で出合った18世紀のオランダの王女さまの洗礼服でした。

    「白い布を2枚重ね、白糸刺しゅうを施した、それは美しいものでした。それまで日本で色糸刺しゅうしか見たことがなかったので、白一色が生み出す深い陰影の美しさに心打たれました。『だれが、どうやって、何のためにつくったのだろう?』と、知りたくて、手仕事の世界に入っていきました。そして、手仕事を通して『ヨーロッパを少しは知ることができるかも』と、古い手仕事の作品や資料、道具などを集めるようになりました」と語ります。

    そんななかで出合ったもののなかにサンプラーも含まれていたそうです。

    そして、そのサンプラーの構成や仕上げはつくり手が自由に考え、工夫されていました。

    「私は学生時代、絵を少し描いていたこともあり、そのグラフィカルな構成の妙にもひかれました」とユキさん。

    2002年には、京都市左京区に、私設ミュージアムの「ユキパリスコレクション」をオープンしました。

    そこでは、さまざまなサンプラーを目にすることができます。

    画像: 「ユキ・パリスコレクション」2階のミュージアムでは、サンプラーはもちろん、16~20世紀の400年間にヨーロッパ各地でつくられた、レースや刺しゅうなどの針仕事や道具や資料などを展示している

    「ユキ・パリスコレクション」2階のミュージアムでは、サンプラーはもちろん、16~20世紀の400年間にヨーロッパ各地でつくられた、レースや刺しゅうなどの針仕事や道具や資料などを展示している

    “後日、参考にするため” 。これも、サンプラーの大きな目的です。そして、「より、よいものをつくりたい」と、女性たちは進化を続けていったのでしょう。

    「日本は伝統を大切にします。しかし、ヨーロッパでは、伝統を変えようとする力が大きく働いています。そのなかでさまざまな技法やスタイルが次々と登場する。そういうことがヨーロッパの手仕事にはうかがえることも、興味をもった理由です」

    衣類から寝具、キッチンまわりのものまで、すべてを手づくりしていた時代、刺しゅうや縫い物、そして編み物は、生活と密につながっていました。

    「必要に迫られて手を動かし、その結果として、美しいものが生まれてくる。日々の生活をより豊かに、美しく……。そんな想いにも心ひかれます」

    実はユキさんは、いまは、ご自身で刺しゅうや編み物はされないのだとか。

    「昔は、いろいろと手を動かしましたが、それよりも、よいものを集め、人間の美しさへの憧景、想いなどを作品の奥にみるのが、楽しみにもなっています」

    サンプラーを見つめるユキさんのまなざしから、一枚の布に流れる歴史を知り、 “何を美しいと感じるか” というものさしをつくる大切さを、教えられた気がします。



    〈撮影/鈴木静華 取材・文/一田憲子〉

    ユキ・パリス
    1945年、京都生まれ。’70年大阪万博勤務後に結婚し、デンマークに居を移す。2002年、30年来、収集したヨーロッパの針仕事を紹介する私設ミュージアムとアンティークショップを併設した「ユキ・パリスコレクション」をオープン。

    ユキ・パリス コレクション
    オーナーのユキ・パリスがデンマーク移住以来、40年余に渡りヨーロッパ各地で蒐集した、刺しゅうやレースなど針仕事の作品や道具、資料を展示するミュージアムと、古今東西の優れた美術、工芸、デザインプロダクツなどを選りすぐり、展示販売するショップ。
    https://www.yuki-pallis.com/

    Tel & Fax:075-761-7640
    〒606-8403 京都市左京区浄土寺南田町14
    休館日:水曜、木曜、夏季(8月)、年末年始

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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