• 食べ歩き、飲み歩き歴46年。都立浅草高等学校、国語教師の神林桂一さんが、自身の勤め先があった浅草エリアで食べ歩いた店は1255軒にも。手製の「ミニコミ」を発行しては、自身の偏愛店を紹介していました。神林先生にとって、浅草の街の魅力とはなんだったのか。そして、何がそれほどまでに食べ・飲み歩きへと駆り立てたのでしょうか。
    (『神林先生の浅草案内(未完)』より)

    神林先生は浅草という街を「人の森」と表現した

    神林桂一さんが勤めていた都立浅草高等学校は3部制で、「教室には国籍や年齢、それにいろんな家庭環境を持つ生徒たちがいっぱいいます」と話されていました。

    下町の学校の勤務が長く、ことに浅草に深い思い入れを持っていた神林先生は、浅草の街のことを自著でこんな風に表現されています。

    浅草という街、特に観音裏は、古い店と新しい店が混在していて、入りづらい店でも、一度打ち解けると受け入れてくれる居心地のよさがあります。老若男女、外国人も観光客もいて、まさに「人の森」。そして、いろいろな人を受け入れてくれる懐の深さがあります。

    画像: 書籍『神林先生の浅草案内(未完)』に登場する浅草観音裏のレトロ喫茶店の名物。焼きそばを卵でくるんだ“オムマキ”は、ぜひトライしたい一品

    書籍『神林先生の浅草案内(未完)』に登場する浅草観音裏のレトロ喫茶店の名物。焼きそばを卵でくるんだ“オムマキ”は、ぜひトライしたい一品

    「人の森」に紛れることができる……あまりに多様性に満ちた浅草という街をこんな風に語っていたのは、自身の体感はもとより、日常的に接する生徒たちからも感じ取っていたことかもしれません。

    食べ・飲み歩きは、神林先生にとって“街の採集”だった?

    授業が終わると、毎日のように、馴染みの店や新しくできた店など、浅草の飲食店を訪れていた神林先生。ときには土日にも訪れては知人を案内したり、年末年始にも顔を出したり。

    2019年に初めて浅草観音裏で催された飲み歩きイベント「酔いの宵」(浅草観音裏地域の登録飲食店にて、1フード+1ドリンクを1000円で提供)のスタンプラリーでは、最多の軒数を訪問。期間中の10日間で74軒を制覇しました。

    さらに、第2回目の2020年も最速で最多のお店を訪れてチャンピオンとなり、賞金1万円と名前入りジョッキを獲得。そのジョッキをうれしそうに見せてくれました。

    当然のことながら、胃袋にもお財布にも負担がかかります。

    何がそれほどまでに、神林先生を駆り立てたのでしょうか。 

    画像: 浅草観音裏のグルメバーガー店にて、ハンバーガーを頬張る神林桂一さん

    浅草観音裏のグルメバーガー店にて、ハンバーガーを頬張る神林桂一さん

    自身が発行する「ミニコミ」の情報を常に更新するため? 大きな理由のひとつだと思います。

    それとも、自身に湧く尽きない興味? それもあると思います。

    というのも、神林先生は、元来、凝り性の収集マニア。あることが気になると、徹底的に凝る性分でした。

    神林先生の妻の裕子さんもこう語ります。

    「今までも仕事関係では、国語通信や水俣病、自分史新聞づくりなどを扱った教材研究、沖縄修学旅行計画、個人的趣味の築地への買い出し、スポーツジム、切手収集、家庭菜園、通信販売……。その中でも最も凝っていたのが浅草のお店とその人々でした。書籍やネットで調べることもありましたが、最大の情報源は店主や常連客の方々だったようです。最新情報を仕入れると、パソコンで打ち込みながら楽しそうに話してくれました」

    画像: 神林桂一さんが発行していた「ミニコミ」の「浅草ランチ・ベスト100」編は3枚綴りの大作

    神林桂一さんが発行していた「ミニコミ」の「浅草ランチ・ベスト100」編は3枚綴りの大作

    昼に夜に、多彩な店を巡ること。

    その行動を駆り立てていたのは、浅草の店の「空気」、そこで過ごす「時間」の“採集”だったのではないでしょうか。

    その結晶が、「ミニコミ」だったのではないかと思うのです。

    神林先生が綴った偏愛店への想いを、『神林先生の浅草案内(未完)』で読み解いていただけたら幸いです。

    画像: 食べ・飲み歩きは、神林先生にとって“街の採集”だった?


    〈文/沼 由美子 撮影/大沼ショージ、萬田康文(カワウソ)〉 

    神林 桂一(かんばやし・けいいち)
    1954年5月26日生まれ。東京都出身。教員生活43年。食べ歩き、飲み歩き歴46年。都立一橋高校時代から食のランキング・ミニコミを刊行(おもに職場で配布)。下町エリアを中心に酒場、定食屋、バー、和・洋・中・エスニック料理店、その他と守備範囲は広範囲に及ぶ。なかでも“お母さん酒場”には並々ならぬ情熱を持つ。食にまつわる書籍、雑誌、テレビ番組、ランキングサイトなど、リサーチにも余念がなく、自作のデータベースには行った店・約9200軒を含む1万5000軒の食の店や食の情報が整理されている。2020年8月24日逝去。

    ◇ ◇ ◇

    画像: 「浅草は人の森」。食べ歩き、飲み歩き歴46年、神林先生が愛した浅草という街|神林先生の浅草案内

    『神林先生の浅草案内(未完)』(プレジデント社)

    『神林先生の浅草案内(未完)』(プレジデント社)|amazon.co.jp

    著者/神林桂一
    写真/大沼ショージ、萬田康文(カワウソ)

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    著者の神林桂一さんは、職場の若い先生や同僚たちに、浅草の深き食文化を知ってもらうべく、愛機のワープロ「文豪」のキーボードを叩き、わら半紙に刷り出した『ミニコミ』を発行。「ランキング」と謳ってはいるものの、載っているのは偏愛店ばかり。どの店も違って、どの店もいい。この本は、37号にわたって発行した『ミニコミ』より「浅草ランチ・ベスト100」「ひとり飲みの店ランキング」を元に、神林先生が足繁く通った店を紹介しています。

    これからますます意欲的に飲んで、食べて、さらには情報発信を、と意気込んでいた矢先、神林先生は突然、この世を去りました。『神林先生の浅草案内(未完)』は、更新されることのない途中経過の記録であり、店へのラブレターであり、浅草の食文化が垣間見られる教科書の一遍であり、観光客の知らない浅草を知る案内でもあります。神林先生の愛した浅草に足を運んでもらえたら幸いです。



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