• 建築写真家・伊藤隆之さんが撮影した、誰もが魅了される近代建築を紹介する人気シリーズ。今回は、長らくドイツ公使を務め政府一のドイツ通として知られていた外交官、青木周蔵が、ドイツの貴族農園をモデルにした純白の洋館「旧青木家那須別邸」を紹介します。

    明治の元勲による農場経営の舞台となった白亜のドイツ風邸宅

    黒磯駅から那須岳山麓の板室温泉へと続く、板室街道から200mほど続く杉並木の先にぽっかりと開いた空間に、壮麗な姿の洋館が静かに佇んでいます。この建物は明治政府でドイツ公使、アメリカ大使、そして外務大臣も歴任した青木周蔵(1844-1914)が、農場経営の拠点とした別荘です。

    この洋館が建つ栃木県の那須野ヶ原は、明治期の元勲たちがこぞって農場を拓いた土地で、青木のほかに大山巌(陸軍大臣)、山縣有朋(総理大臣)などの、30を超える農場が開設されました。現在、観光牧場としても人気の「千本松牧場」は、総理大臣を二度経験した松方正義によって開設された那須野ヶ原最大の華族牧場でした。

    画像: 板室街道から杉並木を歩いていくと、壮麗な洋館の姿が少しずつ大きくなってくる

    板室街道から杉並木を歩いていくと、壮麗な洋館の姿が少しずつ大きくなってくる

    当時は国の殖産興業政策によって未開地開拓の気運が高まっていたことに加え、当時日本が模範としていたヨーロッパの貴族が、自分の領地や荘園で農園経営を行う貴族地主の制度を見習ったという側面もあったようです。

    ドイツ滞在が長くドイツ貴族の妻を持つ青木は、同じくドイツ生活が長く、ベルリン工科大学などで建築を学んだ松ヶ崎萬長(まつがさき・つむなが)に設計を依頼。完成したのが、このドイツ風の館でした。

    画像: 一面の雪景色の中で堂々とした佇まいを見せるその姿は、実に美しい

    一面の雪景色の中で堂々とした佇まいを見せるその姿は、実に美しい

    建物は全体がスレートで覆われた「シングルスタイル」で、壁によって張り分けられたつた型とうろこ型の2種類のスレートが光の加減によって微妙な陰影を生み、独特な味わいとなっています。

    壁一面に張られた蔦型のスレートの陰影が壁に変化を与えている

    明治21年(1888年)に竣工した建物は当初、2階建ての中央棟だけでしたが、退官後に隠居用の住居として使うために、明治42年(1909年)に両翼の平屋部分が増築されました。変化に富んだ複雑なスカイラインを形成する屋根の上には物見台があり、さらに突き出したドーマーや張り出したベランダによって、外観はとても見ごたえがあります。

    画像: 中央棟と両翼の建物の屋根が複雑なスカイラインを形成し、さらにドーマーやベランダがアクセントとして加わっている

    中央棟と両翼の建物の屋根が複雑なスカイラインを形成し、さらにドーマーやベランダがアクセントとして加わっている

    建物内部はとても簡素な仕上がりだが、階段の構造や梁の仕上げなどは実に手が込んでいる

    一方、建物内部はインテリアも含めてとても簡素に仕上げられており、大谷石を用いた暖炉などはあるものの、華美な装飾などはほとんど見られません。しかし、自然豊かな那須の地で静かに暮らすためには、これで十分だったということなのかもしれません。

    夫人であるドイツ人女性エリザベートが過ごした夫人室にはドレッサーが残っている

    画像: 大きな窓がある1階の食堂。壁際の暖炉には地元栃木の大谷石が使われている

    大きな窓がある1階の食堂。壁際の暖炉には地元栃木の大谷石が使われている

    画像: アーチ窓の位置が天井と合わなかったため天井をくり抜き、照明を高い位置に設置した和室。どこか不思議な空間だ

    アーチ窓の位置が天井と合わなかったため天井をくり抜き、照明を高い位置に設置した和室。どこか不思議な空間だ

    建物の裏手に広大な明治の森が広がるこの邸宅の前に立つと、自らが駆る馬車にドイツ人の妻を乗せ、杉の小径を颯爽と走り抜けていく青木の姿が目に浮かんでくるようです。

    旧青木家那須別邸(とちぎ明治の森記念館)
    所在地/栃木県那須塩原市青木27
    所在地/栃木県那須塩原市青木27
    設計/松ヶ崎萬長
    施工年/明治21年(1888)
    重要文化財指定/平成11年12月1日

    見学情報
    [開館]9:00〜17:30(10月〜3月は16:30まで)
    [休館(令和2年)]5/11、7/6、9/7、10月〜3月は月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始(12/29〜1/3)
    [料金]大人200円、小中生100円
    [交通]JR東北本線「黒磯駅」からバスで20分


    写真/伊藤隆之(いとう・たかゆき)
    1964年、埼玉県生まれ。早稲田大学芸術学校空間映像科卒業。舞台美術をてがけるかたわら、日本の近代建築に興味を持ち写真を学び、1989年から近代建築の撮影を始める。これまでに撮影した近代建築は2,500棟を超え、造詣も深い。『日本近代建築大全「東日本編」』『同「西日本編」』(ともに監修・米山 勇/刊・講談社)、『時代の地図で巡る東京建築マップ』(著・米山 勇/刊・エクスナレッジ)、『死ぬまでに見たい洋館の最高傑作』(監修・内田青蔵/刊・エクスナレッジ)などに写真を提供してきた。著書には『明治・大正・昭和 西洋館&異人館』(刊・グラフィック社)、『看板建築・モダンビル・レトロアパート』(刊・グラフィック社)、『日本が世界に誇る 名作モダン建築』(刊・エムディーエムコーポレーション)などがある。

    文/後藤聡(ごとう・さとし)
    近代建築を愛好するライター。とくに、明治から昭和初期に建てられた洋館に愛着が深く、建物の細部に見え隠れする、かつての住人や建築に関わった人たちの息づかいを見出し楽しんでいる。『時代の地図で巡る東京建築マップ』『死ぬまでに見たい洋館の最高傑作Ⅱ』(刊・エクスナレッジ)、『世界がうらやむニッポンのモダニズム建築』(刊・地球丸)などの執筆を担当。

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