「運命の猫」に出会った、寒い冬の日の話
1匹の猫が人間の未来を救った――といえば、大げさなと思われるでしょうか? それも、治らない病気を抱える、ぼろぼろに汚れた死にかけの猫が。
その猫と出会ったのは、今から十年以上前の、凍てつくように寒い冬の夕方のことでした。まだ二十代だった私がアルバイトの帰りに訪れた繁華街で、どこからか、かすれた小さな声がしました。
「ニャーン」
無関心な雑踏は、ざっざっと行きかい、耳をふさぎたくなるような大ボリュームの音楽が店店から溢れ出します。それでも、私の耳にはその小さな声が確かに聞こえたのです。
あたりを見回すと、やせ細った黒い猫がぽつんと、うす汚れた自動販売機の陰に佇んでいました。目に留まらないような生命力のない命のかけら。
どうせ逃げるだろうな……。そう思いながら、私は近づき、しゃがみこみました。すると、猫は、ふらふらと私のそばにやってきて、しがみつくように膝の上によじのぼりました。そして、そのままくるりと丸くなり、あろうことかずーぴーずぴーと寝息をたてはじめたのです。
よく見ると、猫の顔は目やにと鼻水でぐちゃぐちゃ。体からは魚市場のごみ箱のようなにおいがし、まるで紙っぺらのように軽い貧相な猫でした。
助けなくちゃ。
反射的にそう思いました。私はすぐに近所の動物病院を探し、そこに行く決意をしました。
さあ向かおうと思った時でした。猫をみつけた場所の隣の百円ショップから、丸い顔の女性がへの字眉で駆け寄ってきました。白い息を吐き女性は言いました。
「その子、朝からいるんです。助けてくださってありがとうございます」
女性は自分の着ていたフリースを脱ぎ、私の抱えた猫にかぶせてくれました。北風が、女性の肩まである髪をゆすり、その頬にぶつけました。心細さでいっぱいの中、私の胸は熱くなりました。
こんな冷たい時代に、たった1匹の猫を気にかけてくれる人がいるんだ。そのうえ、ふがいない私に、「ありがとう」という言葉をくれるなんて。
当時、私は心の病を患い、自分を「世界で一番いらない人間」だと思っていました。何もできない。役に立たない。それなのに、私のしたことに感謝をくれた――。
あれから長い時間が経ち、猫が私の「家族」になった今も、ふと、あの瞬間のことを思い出します。
私たちを助けてくれたのは、あなただったんですよ、と。あのフリースは、猫だけじゃない。ぼろぼろの私の心もあたためてくれたんですよ、と。
今年もまた冬がきました。いま、この膝に、もう、その猫はいません。
だけど、私の全身に――心臓に、白血球に、赤血球に、髪の先に、染み込み、猫と過ごした宝物のような日々が響き渡る。私を生かす。
そんな命の物語を、今日から、はじめさせてください。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」