「猫エイズと白血病」と告げられて
外で暮らす猫が、どんなふうに生きているか、知っているでしょうか?
自由きままに、好きな場所に行ける? コンビニや飲食店の残飯など、食べ物が豊富? 恋をし、子どもを残し、命をつないでいくことができる?
繁華街で小さな黒猫を拾った翌日、訪れた動物病院で、その子は「猫エイズと白血病」という診断を受けました。若かった私は、瞬間、目の前が真っ暗になりました。
死んじゃうの? この子、死んじゃうの?
止まらない私の涙をカサカサの毛に染み込ませ、猫は不思議そうに私を見上げました。
獣医さんは、優しくていねいにこれからのことを説明してくれるけれど、私の頭には何も入ってきません。ただ、腕の中でくりくりのお目目をむける猫が不憫で仕方ありませんでした。
・猫エイズと猫白血病は、現代の医学では治療法がないこと。
・他の猫に感染する病気なので、(私が猫と出会った2004年には)家に猫がいるなら一緒にはくらせないことに絶望しました。家にはもう、1匹のオス猫がいたのです。
そこで、猫エイズの猫は、入院中で空き家になっている祖母のアパートを借りて、里親さんがみつかるまでの間、隔離してお世話に通おうと決意しました。そう、病気を知ったこの時、一緒に暮らすという選択肢を私は持てなかったのです。
病院からの帰り道、下り坂になっているニュータウンの街並みに、大きな夕日が浮かんでいました。世界は金色に染まり、私と猫の入ったキャリーバッグの影を長く伸ばします。
その瞬間、思いました。
この子の名前は、「あい」にしよう。世界で一番、愛される猫になるように。
たとえ、命は短くたって、たくさんの愛に包まれるように。
「あい」と名付けた黒猫
祖母のアパートについたあいは、それはそれは、あまえんぼうな猫でした。あごにすり寄り、ごろごろいったり、ころーんとお腹を見せてかわいいポーズをしたり……。
まるで、昔から愛されることを知っていたかのように、人間の愛を求めました。ですが、それは勘違いでした。あいは、お腹がとてもとても減っていただけ。
お皿にフードを入れると、駆け寄って、夢中でカッフカッフと頬張ります。なくなると、あまえた声で「ニャアー!」。声が枯れても、「ハーン!」
お腹を壊すからね、と、継ぎ足さずにいると、全身で私にすりすりし、お代わりをねだりました。でも、そこまで体をゆだねてくれているのに、いざ撫でようと手をかざすと、びくっと身を固くするのです。
あの場所で生きていくためには、人間に食べ物を乞うことでしか、空腹を満たすことができなかったのかもしれません。生き抜くため、自分を殺すかもしれない人間にお腹を見せる。その姿はけなげで、そして、ふいに自分の過去を思い出しました。
学生時代に学校でいじめを受けた私は、いつからか、人に本音を見せず、あまえるふりをしながらも、心の底では恐れていました。そうして過ごしているうちに、生きることも怖いと思うようになりました。
日々を重ねることは死ぬほど苦しくて、毎日、人生から「いちぬけた」する方法を考えていました。
いまこの瞬間だけを懸命に生きる、あい。終わりの見えない人生の中でもがき、生きづらい私。
そんな時、トイレの中のあいが、私にカツを入れるのです。「ごらんよ、このうんこ。りっぱなもんだろう」
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」