心の病を抱えて
「生きづらさ」。私が抱えている持て余す心を、そう表現することがあります。私が、猫エイズと白血病の猫「あい」と出会った時、私はまさにそのさなかにいました。
大きな音や声が怖い「不安障害」。
落ち込んで、死にたいとすら思ってしまう「うつ病」。
そして、感情のふり幅が尋常ではなく大きく、些細なことに過敏に反応してしまう「境界性パーソナリティ障害」。
ある日のことでした。
あいを隔離でお世話しているアパートからの帰り道、恋人とともに車に乗っていると、道路に横たわる白いかたまりが見えました。
猫――!
両の手足を投げ出し、ぴくりとも動かない。交通事故で亡くなってしまっているのは明らかでした。
その瞬間、私はパニックに陥りました。
過呼吸を起こした私は、取り乱し座席の下にもぐりこもうとします。彼は何が起こったのか分からず、車を停め、必死で私をなだめました。
あの瞬間――私の心を追い詰めたのは、目の前の猫の死だけではありませんでした。突如として襲ってくる、目をそらしたくても突きつけられる現実。
たとえば、こうしている間にも、世の中では戦争が起こる。災害が降りかかる。苦しみ、亡くなっている命がいくつもある。
あいという猫をたった一匹助けただけで、今だって、世界じゅうでは誰かが傷ついている……。
何もできない。私なんて、なんの力もない。
それがやりきれなくて、苦しくて、悲しくて、悲鳴をあげそうになってしまったのです。
必要とされることで救われる気持ち
私たちは、その猫を遺体引き取りのため連絡をし、あいのもとへ戻りました。すると、あいは、「帰ってきてくれたの?」と思わぬ来訪に目を輝かせます。
そして、さっきも食べたのに、またごはんを催促。「もう、しょうがないなあ」と困りながら、私の表情は自然と笑顔になります。
ふかふかの毛玉に、心癒されます。
あいは、生きている――。
「人間が怖い」という生きづらさを抱えながら、それでも、私たちを求めようと手を伸ばします。体に病気を抱えていても、毎日、しあわせにごはんを食べます。
私なんかより、ずっとずっと苦労をしてきた、あい。そんなあいが、ふがいない私を、今、この瞬間必要としてくれていることで、私は自分の「生きづらさ」から逃れられるのです。
願わくば、傷を負った命が、どこかで誰かに愛を注がれていますように。
私ひとりに、世界を変える力はないけれど、ひとりひとりが、できる小さな力を持ち寄れば、きっと、未来は優しい方向に変わっていくはず。
昨日より。今日より。きっと。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」