互いに心の病と闘っていた友人
心の病気のこと。仕事のこと。お金のこと。
ふいに何もかもが抱えきれず追い詰められたとき、思い出す人がいます。
猫エイズと猫白血病のあいを保護し途方に暮れていたあの日。私に、「何もできないけど、もし嫌じゃなければ、少しくらいならカンパできるから。ひとりで抱え込まないで」と言ってくれた年上の友人。
三十歳を少し過ぎて、自ら、この世界とバイバイしてしまった一人の女性のこと。その人とは、オンラインのゲームをきっかけに出会いました。
男性ユーザーが多いゲームの中で、めずらしく女性、しかも同じ関西在住だったこともあり意気投合した私たちは、時々、リアルの世界でも会うようになりました。
そこで、お互いに心の病気を抱え、「死にたい気持ち」と闘っていると知ったのです。
そんなにつながりは暗い間柄なのに、私たちは会うたび、いつも笑っていました。まるで笑っていないと、すべてが終わってしまうかのように、お酒を飲み、千鳥足で繁華街をスキップし、金色のビリケンの石像の足の裏を撫で、「しあわせになりたーい」と願い事をしました。
猫のことに巻き込めば、自死を選ばなかったかもしれない
あいと出会ったのは、それからしばらくしてのことでした。同じ繁華街で、私だけがあいと出会い、守らなければならない存在を持ちました。そうじゃなかった彼女は、ただ、自分ひとりを持て余し、少しずつ、本当に少しずつ、この世とつながる糸を手放していきました。
あいのために買った家に遊びに来たとき、彼女は言いました。
「すごいねえ、セリさん、がんばってるねえ」。私たちの間には、まあるい目をした、あいがいました。彼女はあいを撫でます。
「私とは、違うねえ……」。そうじゃないよ。そんなことないよ。まるでそう告げるように、あいは、彼女の膝で喉を鳴らしていました。
今でも思うのです。私が、もし、彼女から、お金を少しでもカンパしてもらっていたら。「あいを助ける」という「生きる意味」に彼女も無理やり巻きこんでいたら、彼女は、死を選ばなかったんじゃないかと。他人事じゃないあいの成長を、しあわせを、ともに見届けるまで死ねないと、生きる希望をみつけてくれたのじゃないかと。見栄をはらなければよかった。時々、むしょうに悔しくなります。
そして、だからこそ、思うのです。彼女の優しさの分まで、あいの一生を私は背負おう。彼女とつかの間、しあわせを死に物狂いで探したあの街で、「じゃあ、わたしをしあわせにしてよ」と出会ったあいの――。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」