• 生きづらさを抱えながら、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていた咲セリさん。不治の病を抱える1匹の猫と出会い、その人生が少しずつ、変化していきます。生きづらい世界のなかで、猫が教えてくれたこと。猫と人がともに支えあって生きる、ひとつの物語が始まります。家族であるペットを失った時の「グリーフワーク」について。

    命に永遠はないと知った、子供時代

    私が、そのことを知ったのは、猫エイズと猫白血病の猫「あい」と出会うより、ずっと前。小学校1年生のときに、実家で保護した子猫がきっかけでした。

    へその緒付きの生まれたての子猫。家の前にダンボール箱に入れ捨てられていて、泣いてすがった私に、両親は飼うことを許してくれました。

    「死んでしまうかもしれませんよ」

    獣医さんにそう言われ、母はあえて名前をつけず、死を覚悟していたそうです。

    それでも、その子は母の献身的な看病で、すくすく大きくなり、私と姉妹のように育ちました。「みゅう」。私は、ミューミュー鳴くその猫に、そう名前をつけたのです。

    10歳離れた弟が生まれたときには、みゅうはまるで母猫になったかのように、弟にぴったりと寄り添い、弟が泣くと、おろおろと母を呼びに行きました。

    「ペット」じゃない。

    家族でした。

    画像: 命に永遠はないと知った、子供時代

    だけど、みゅうは、14歳になると乳がんになり、亡くなりました。

    歯車のかみ合わない荒れた家庭の中で、唯一、家族全員がめずらしく揃った夜を超した朝のことでした。

    「お父さんが嫌がるから、セリの部屋にいさせておいて」

    そう言うと、母はみゅうの亡骸を夢うつつの私の枕元にそっと置きました。

    ぼんやりしたまま、私はみゅうを撫でます。その日のうちに、みゅうは白い煙となって空にのぼっていきました。

    悲しかった経験が、他人に理解されずに傷ついた

    ある日のことでした。当時、私が通っていた芸能事務所の養成所で、レッスンとして「今までで一番悲しかったこと」を話すという課題がありました。

    いじめられたこと。親からの虐待。様々に過酷な経験を話すレッスン生たちの中で、私は素直に、今、一番心をつかんで離さない、みゅうの死を語りました。

    それに対し、講師の先生はぽかんとして言ったのです。「猫の死くらいのことで良かったな」。

    瞬間、私の心は固く固く閉じました。そして胸の中で血のような涙を流しました。

    「猫の死〝くらい〟?」

    それからでした。みゅうの死のつらさを誰にも話せなくなり、こんなふうに傷ついている自分がおかしいんだと責めるようになったのは。

    私は、人知れず、どんどん病んでいきました。

    それは、今でいう、「ペットロス」でした。

    ペットロスが生み出すものとは

    「ペットロス」。そんな言葉がまだ一般的ではなかった時代。それでも私は、自分の痛みをなんとかしたくてインターネットを検索しました。すると、そこで「グリーフ」というワードにたどり着いたのです。

    「グリーフ」とは「悲嘆」のこと。大切な存在を喪失した悲しみを、グリーフケアで、癒してあげることができるのだと。

    読んでいくと、アルフォンス・デーケンという方が「悲嘆の12のプロセス」というものを提示していました。

    まずは、「打撃や麻痺」。そして「否認」。「パニック」「怒り」。「敵意や恨み」。

    言われてみれば、私は、みゅうが死んでしばらく、そのことを忘れるようにがむしゃらに過ごし、また、みゅうを助けてくれなかった獣医さんや、今回自分に「猫の死くらい」と言った講師に理不尽な怒りや恨みを抱いていたのです。

    続くのは、「罪責感」。「空想形成」「抑うつ」「混乱と無関心」。確かに、私は、みゅうにしてしまったこと、しなければよかったことを何度も後悔し、やがて沈み込み、重いうつ状態になっていきました。

    そこまで読んで……何よりも私が思ったのは、「こんなことを考えるのは、私だけじゃなかったんだ」ということ。

    画像1: ペットロスが生み出すものとは

    「ペットなんか」と言われそうで、誰にも伝えられず、伝えてみたらそでにされた痛みが、「自分ひとりじゃない、正常な悲しみの反応」だと知れて、私は救われたのです。

    プロセスは、最後、みっつで締めくくられていました。「諦め、受容」「新しい希望」「アイデンティティの獲得」。

    あれから長い年月が経ち、私は何匹もの猫を見送りました。

    悲しくないお別れは一度だってありませんでした。

    それでも、ただただ後悔せずにすむよう、生きている時間を大切に愛します。そして、もし後悔とともに逝ってしまっても、「こんなに苦しんでいるのは自分だけじゃないんだよ」「それだけ愛してたってしるしなんだよ」と、自分を抱きしめます。

    「猫くらい」じゃない。「猫という我が身の一部」。

    それが、生きている猫と暮らし、亡くなった猫と生きる、私のアイデンティティです。



    画像2: ペットロスが生み出すものとは

    咲セリ(さき・せり)

    1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。

    ブログ「ちいさなチカラ」



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