白血病の猫を引き取って、育ててくれた女性
「死なないでね。もし死にたくなったら、誰でも、旦那さんでもいいし、私でもいいから話して。ひとりで逝ってしまわないで」
当時、希死念慮の中にいて、もがき苦しんでいた私にそう言ってくれた人がいます。
その人は、私の母が保護した子猫の里親さんになってくださった人。
子猫は、保護当初、「あい」と同じ猫白血病ウィルスに感染していました。それでも、インターフェロンという注射をうつことで、ウィルスが消えるという症例に望みを託して、治療を続けていました。
そんな、この先、長く生きられるか分からない子を、「家族に」と申し出てくださったのが、40代のその女性でした。
女性のお母さんは、彼女が中学生の時、自死したといいます。
学校で授業を受けていたら先生に呼び出され、家に帰ると、もう冷たくなったお母さんがいました。
台所には、朝、作ってくれたお味噌汁の鍋がそのままの状態で置かれています。その鍋を抱いて、彼女は泣きました。
「もっと、おいしいと言えばよかった。もっと、お母さんのことを見ていればよかった」
彼女のお母さんがうつ病を患っていた当時、病気は隠さなければならない風潮があり、長期入院していても、「旅行に行っていた」とうそのお土産をご近所に配ってまわったそう。
「死にたい気持ち」をひっそりと抱えて、お母さんは、少しずつあっちの世界へ引きずられていきました。
「生きていれば、もしかしたら、また笑える日がくるかもしれないから。セリさんも、生きて。この子の成長を、一緒に見守って」
ももてんと名付けられた子猫を抱いて、彼女は、私の手をぎゅっと握りました。
彼女は、ももてんを譲り受けてからも、インターフェロンの治療を続け、ウィルスが消えることを信じました。
定期的に送られてくる、ももてんの写真は日々増えていきます。そして――。ついに、その日が来ました。
治療の甲斐あって、ももてんの白血病ウィルスが消えたのです。
私は、泣きました。ももてんの命が助かったことだけじゃありません。
そんなふうに、生きていたら、周りのサポートで愛情をかけられていたら、死ぬと言われた子も、生きていけるのだと。
あれから長い年月が経ち、子猫だったももてんも、立派なふとっちょ猫になりました。
「元気です」と送られてくる年賀状を片手に、「私も元気です」と、微笑む私が、今年も生きています。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」