炎天下で鳴いていた、小さな命
エアコンをつけていても汗がしたたる、暑い夏の日のことでした。
リビングでお昼ご飯を食べていると、どこからか、にい、にい、という声が響きました。
「いる……」
私と夫の顔色が変わります。そうめんがのびるのもそこそこに、私たちは庭の様子をうかがいました。聞こえます。明らかに子猫の声が。
私は、草が伸び放題の庭に出て、パキパキと草の枝を踏みながら、その姿を探しました。
いました。黒い小さな塊が三匹。母猫の姿は見えません。炎天下。このままここにいたら間違いなく死んでしまう。
私たちは保護を決めました。
動物病院に連れて行き、生後二週間の子猫たちに、その日から授乳をする生活がはじまりました。
と同時に、この子たちの貰い手をみつけようと、信頼できる人――誰より、動物を愛してくださっていると実感している天然生活の方々にもお願いをしました。
最初は不安でした。ミルクを飲んでくれるだろうか。もしも死なせてしまったらどうしよう。三時間おきの授乳。排泄のお手伝い。やがて、子猫たちはミルクを飲みながら喉を鳴らしてくれるまでになりました。
子猫を探す母猫が現れて
でも、心配事がひとつ。
おそらく母猫と思われる猫が、近くで悲壮な声で鳴いているのが聞こえたのです。
私たちは決意しました。母猫も保護しようと。
決めたその日の早朝に、捕獲器を持っている知人に連絡し、三十分後には捕獲器を入手。フードを入れて、母猫が入ってくれるのをじりじり待ちました。
昼、まだいない。夕方、まだいない。夜になってあたりが暗くなり、今日はだめかもと諦めかけた時、カシャン、と音がしました。暗闇の中見ると、まだ小柄な母猫が捕獲器の中で、懸命にフードを食べていました。よほどお腹が減っていたのでしょう。
家に連れてきて、ノミ駆除の薬をつけます。24時間で効果が出るので、すぐに子猫と一緒にはできません。
まんじりともしない気持ちの中、一日が経ちました。ようやく、母猫と子猫の対面。
それでも、不安感は高まります。
人間のにおいのする子猫。母猫が受け入れてくれるのか。へたすると、恐怖心から子猫を食べてしまうという話も聞いていました。
はたして――母猫は、子猫に近づき、ぺろんと優しくなめました。
すぐに授乳の体勢にぱたんと寝転がると、子猫たちも、「ママ、ママ」というようにいっせいに寄っていきます。ケージの中は、親子の喉の「グルグル」という幸せな音で満たされました。
悩みました。一匹ずつ里親さんを探すつもりでしたが、こんなにも仲の良い親子。引き離すのはしのびない。何より、私たちが、すっかり4匹のとりこでした。
多頭飼いでも幸せにする覚悟
私は里親探しのお願いをしていた天然生活の方にお断りのご連絡を入れ――この子たちを、我が家の家族にすることに決めました。わが家にはすでに8匹いるので、4匹を家族にすると12匹。過去最高の数です。
友人にそのことを報告します。友人は喜んでくれましたが、私は半分本気で言いました。
「多頭飼い崩壊しないように、馬車馬のように働かなきゃ」
すると、友人は言ってくれました。「崩壊したら、私が助けに行くよ!」
母にも伝えました。母もお礼を言ってくれます。私はまた自分を卑下します。
「もう、これ、病気やわ」
母は言いました。
「みんな、その病気にかかればいいのにね」
「そんなことしたら、みんなで多頭飼い崩壊になっちゃう」
冗談交じりで私が言うと、母は答えました。
「みんながなるんだから、多頭飼いにはならへんよ。それぞれに少しずつ、支え合えるんやから」
親子猫は、今、気持ちよさそうに寝ています。もう夏の暑さも冬の寒さも怖くない。そんな生活を与えられるよう頑張ろう。
その気持ちが私に生きるチカラをくれるのです。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」