緊張していると怒っている顔になってしまう
寒い冬の日。ふと街を歩いていると、すれ違う中に、「この人、しあわせそうだなあ」と感じさせる人がいます。特別笑っているわけではないのだけど、張りつめていない口元、無防備な目じり。見ているだけで、ほっとする人。
そんなとき、私はかつての自分を思うのです。
私は思春期のころから、「釣り目で怒っているような顔」と言われてきました。私自身は怒っているつもりはありません。必死で、「誰とでも仲良く」「嫌われないように」を演じてきたのですが、内心の緊張が伝わっていたのでしょう。残っている写真は、物陰に隠れる小動物のようにきつい顔つきです。
それがいまでは――。プロフィールの写真を見ていただけば一目瞭然ですが、まるでタヌキのような垂れ目ののほほんとした顔になりました。きっと、臆病だった私の心を開いてくれた、夫や友人たち、そして、お仕事でかかわる方々のおかげで、私は自然に変わっていったのだと思います。
「デカ顔」猫のでかおが家を失って
そんな表情の変化は、猫にもあります。
我が家には「でかお」という猫がいるのですが、この子の名前は私たち夫婦がつけたものではありません。でかおの前の飼い主さん、ご近所に住むおばあさんがつけられたものです。
でかおは、おばあさんの家で、出入り自由な状態で飼われていました。ですが、あるとき、突然のおばあさんの訃報。私たちが駆けつけたときには、ご親戚の方々に家は片づけられ、でかおは家に入れてもらえず、野に放たれた状態になってしまいました。
必死で探しました。でかおの兄弟猫は先にみつけ我が家に保護したのですが、でかおだけは捕獲器を置いてもつかまらず……。不安な気持ちで何か月かを過ごしました。
出入り自由とはいえ、今までは、柔らかい布団の上で眠れていたであろう、でかお。外の硬いアスファルトの上、お腹を減らしているのはないかと思うと、胸が張り裂けそうでした。
そうしているうちに、ようやく、でかおがみつかったのです。
「ありがとう、ありがとう」と繰り返し、私たちは家に迎え入れます。
そのときのでかおの顔は……「デカ顔」とでもいうかのように恐怖で膨れ上がり、すさんだ目つきをしていました。なわばり争いの他の猫に、はたまた意地悪をしてくる人間に、必死で虚勢を張っていたのでしょう。
猫トイレの中に籠城し、動物病院に行けば、病室中を逃げ回って大混乱。もう一生、この子は心を開いてくれないかもしれない、と家庭内野良も覚悟して、家族に迎えました。
そして思ったのです。「デカ顔」もかわいい。この子の生きてきた歴史を愛そう、と。
甘えん坊に変化していったでかお
でも、それは杞憂でした。一緒に暮らすうちに、でかおの顔は風船がしぼむようにしゅるるるると小さくなり、吊り上った険しい目つきは、きゅるんとしたまあるいお目目に変身しました。そのうえ、私たちのあとをついてまわり、誰よりもあまえんぼうの猫になったのです。
「デカ顔」は、ちょっと体の大きな、ただの「でかお」になりました。
どんなに閉ざした心も、愛を注げば開くことができる。硬い蕾が開いていくように。
かつて強張っていた私とでかおは、お腹をぽーんと突きだして、安心しきって、今日も眠れるのです。
副業のカウンセリング窓口を開いていると、時々、親御さんがお子さんの反抗期のご相談をくださることがあります。
そのたび、私は、私とでかおの話をします。
そして言うのです。「きっと大丈夫。あなたの愛で、硬い氷は溶けていく――」。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」