連載して1年。猫が教えてくれたことは
「生きづらい世界で猫が教えてくれたこと」
この連載をさせていただき、早一年が経ちました。
いろいろなお話を書かせていただきましたが、今、「ああ、一番猫が教えてくれたことは、これだな」と思うことがあります。
「生きる」
私は、心の病気を抱えています。
また、幼少期のトラウマにより、とても自己肯定感が低く、ささいな人との会話でも自分が悪いのだと自分を責め、「こんな私、死んだほうがいい」とまで追い詰められてしまいます。
すると、もう、うつ症状。
起き上がれなくなり、食べることも体が拒否し、ゆっくりと「死」の方向へ進んで行ってしまうのです。
だけどそんなとき、いつも、ベッドの布団の上にはたくさんの猫たちがどーんと乗っています。私が寝返りをうつと、もそもそと動きまた私の足をおさえたり、お腹をふみふみと揉み始めたり……。
「苦しいよう」と思いながら、だけど、その重みに心から感じるのです。
「この子たちを遺して死ねない。生きよう。傷ついた自分がなんだ。この悲しみや怒りの感情がなんだ。私にはこの子たちがいる。私は、ちゃんと、しあわせだ」
そんな気持ちは、どうやら自分だけじゃないと気づくのは、SNSなどの知らない方の書き込みです。
SNSで責められ、追い詰められた女性のこと
今の時代、SNSも優しいだけのものではなくなり、あちらこちらでトラブルや、「そんなつもりじゃなかったのに起こるいさかい」が溢れています。
私が見た「猫と暮らすひとりの女性」もそれに巻きこまれた方でした。
悪気なく投稿した記事が拡散され、賛否両論、特に「否」が集まってしまい、気がつけば、ひとりひとりの「正義」が、大きな刃になり、その人をつらぬいてしまったのです。
彼女は、記事上で、何度もお詫びを繰り返しました。それでもやまないきつい言葉たち。やがて、彼女の書き込みの中に、「死にたい」「もうつらい」という言葉が並びはじめたのです。
とても心配でした。何か声をかけたいと思いながら、でも詳しい事情を知らない私は二の足を踏みました。
そうしているうちに、彼女の書き込みはぴたっと止まりました。不安でした。もしかして、本当に死んでしまっていたらどうしよう。
ですが、しばらくして、ふっと、また書き込みがあったのです。
「心配をおかけしてごめんなさい。猫のお世話はちゃんとできています」
死にたいぐらい苦しいとき、猫の世話をすることで生きていける
それでも、また書き込みはとだえます。ところが後日、ふっと。
「今日は、猫草を買いました」
別の日にも。
「ちゅーるが切れたので、猫が怒っています。買いに行かなきゃ(笑)」
そして、今日。彼女のページにはこう綴られていました。
「生きていきます。みんな、ありがとう」
死にたいくらい苦しいとき、猫のお世話は大変です。だけど、だから、生きていける。
食べて、遊んで、ときどき不満をまき散らす猫が、私たちを助けてくれる。
猫が教えてくれたこと。
きっと誰もが、それを抱きしめ、生きていけるのだと思います。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」