夏に保護した三兄妹の手術の時期を迎えました
昨年の八月末に保護した生まれたての子猫三兄妹。早いもので、もう避妊・去勢手術の時期がきてしまいました。
猫と暮らす以上、通らなければならない道ですが、毎回、気持ちが揺れ動きます。病気でもないのに体にメスを入れること。まだ小さいのに、知らない場所で怖い思いをさせてしまうこと。
だから、手術が終わり、その子たちが帰ってきたときは、何よりも「もう私たちのことを信じられなくなってしまったんじゃないかな」と申し訳なく思います。
「逃げ出して、ソファの下に隠れてしまってもしかたない」
そう覚悟を決めて、今回も手術を終えた子をキャリーから出しました。
「サチ」。三匹は、それぞれに「しあわせになれるように」と「幸」の字をとり、「サチ」「コウ」「ユキ」と名付けています。
コウとユキは男の子。すでに去勢手術を終わらせたのですが、女の子のサチは、開腹しなければならないこともあり、一週遅らせて受けてもらいました。
手術を終えたサチが戻ってきて
そんなサチが戻ってきて……、サチはドキドキという胸の音が伝わるほど見開いた目で、部屋中を見回しました。そして、逃げ出すかと思いきや、私たちを見上げ、ゴロゴロとけんめいに喉をならしはじめたのです。
「怖かったよ。もう大丈夫? あなたたちは今までどおり、私に優しい?」
そんな声が聞こえてくるようでした。
私たちを信じてくれている。
涙が出そうなほど、胸が詰まりました。
猫に、人に信じてもらえる人間でいたい
私は常々、猫にも、そして、人にも、「信じてもらえる人間」でありたいと強く思っています。
裏切らない。どんなときも味方でいる。私に心を開いてくれる存在に恥じずにすむよう、絶対に誠実でいようと。
それは、猫はもちろん、私を裏切らずに包み込んでくれた数々の「人」のおかげでもあります。
「人間は優しい」。こんな混乱のある時代でも、私はそう信じたいし、信じさせてもらっているのです。
そんなことを母に話すと、気が弱い母は不思議そうにします。
「人間を優しいと思えるのはなぜ? あなたは人間が怖くないの?」
私も母も、あまり安定していない家族の中に育った人間です。家はいつも天災がいつ起こるか分からないほど不安定な空気が張りつめていました。
だから、母は人間を「怖い」のだと言います。
実は私も同じです。誰かが少しきつい言葉を使ったとき、反射的に「怖い」「傷つけられる」とびくつきます。ずっとそんな場所に身を置いていたから。
でも、思うのです。この「怖い」は、ただの「反射」。本当に目の前の人は自分を傷つけようとしているのだろうか、と。
そして思い出すのです。私を痛めつけた人の数よりずっと多い「私を守って、癒してくれた人たち」。パートナー、友人、お仕事の担当者さん、顔の見えないオンラインゲームの世界でさえ。私の周りの人は、不安定な心を持つ私を気遣い、見守ってくれました。
だから、私も優しくなりたい。
人にも、そして、誰より大切な「猫の家族たち」にも。
避妊手術をした私を、猫は今回も許してくれました。
その信頼を裏切らないよう、私は、これからも猫をはじめ、私をとりまく存在たちの中で、優しく、優しく、ありたいと切に願うのです。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」