「作家」というイメージ
「どうしてセリさんは本を書くのですか?」
作家をしているというと、そんな質問を受けることがあります。さらに私の出す本は、かつては猫の本が多かったのですが、それからノンフィクションへと移行し、やがて小説へ。
そのうえ、つい15日には「ゲッチャリロボ」という、古くからの友人がデザインした、テレビドラマでも使われたロボットものの絵本を書かせていただきました。
いろんな方に驚かれます。「え、今まで重いお話ばかり書いていたのに、なぜロボットものの絵本を? ポリシーとかはないの?」
もちろん、私はどの作品にも愛情をこめて物語を紡いでいます。でも、本当は、私は誰にでも胸を張れる「作家」とはまだまだ言えないのです。
なぜ、本を出すのか。
作家だと名乗ると、私にはよほど伝えたいメッセージがあったり、文学を学んだ経験があるのだと思われる方が多くいます。でも実は違うんです。
最初に私が物語を紡いだのは「お金」のため。
一円でもいい。精神疾患を抱え、外に働きに出られない私。何かの方法でお金をもらいたかっただけなんです。
そう、出会った「ちいさな命」を救いたくて。
当時、私は二十代半ばでぼろぼろでした。
なのに、それ以上にぼろぼろの、猫エイズと猫白血病を患う黒猫「あい」を保護しました。
体に良いフード代。医療費。その他の猫グッズ。何もかもにお金が必要でした。でも貯金なんてほとんどない。私は途方にくれました。
そんなときに、とある出版社のコンテストがあったのです。
そこに私は、あいとの日々を写真つきで投稿しました。死にそうだけど、毎日ごはんを欲しがる、けなげなあい。やがて子猫のようにおもちゃで遊ぶようになった日の喜び。避妊手術を終えたあいが、私を信じ、お腹の上でのどを鳴らしてくれたしあわせ……。
すると審査員特別賞と、わずかばかりの賞金が手に入ったのです。
「お話を書いて、お金がもらえるんだ」
私が作家を続けている理由
若い頃から文学を志している方には怒られるかもしれません。ですが、私には「書く」=「お金につながる蜘蛛の糸」になったのです。
それからも、私はひきこもって外に出られない分、文章を書きました。ブログで発表していると、出版社からお声がかかって書籍化。またお金をいただけました。NHKに番組感想のメールを出したことをきっかけに、福祉サイトでエッセイの連載。またお金がいただけます。
書く。お金が入る。猫に食べさせる。書く。お金が入る。猫に食べさせる……。
ポリシーを持つ余裕もありませんでした。書くことは猫の命をつなぐことでした。
ですがやがて、繰り返しているうちに気づいたのです。文章を外の世界に発表することにより、私に寄り添ってくれる優しい感想たちが届くようになったのです。
「お金のため」にやっていた「執筆」が、気づけば、「私自身が生きていていいという赦し」に変わっていました。
私は、今も、つたない文章しか書けません。
書くことしかしてないから「作家」と名乗っているけれど、皆さんの想像する「作家」とは程遠く、恥ずかしいほど貧乏です。
それでも、心が落ち込み不安定な朝、猫にごはんをあげたあと、パソコンに向かいキーボードを打つことで満たされる気持ちを知っているから――私はこれからも、いろんな文章を書きつづけるのだと思います。
お金がなくてよかった。
ぼろぼろの猫と出会えてよかった。
私は、「私」になれる場所にたどり着けたから……。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」