生粋の野良猫を保護して
私の左手の人差し指には、消えない傷痕が残っています。
これは、去年の夏に保護した母子猫の「母猫」に噛みつかれた傷。母猫の必死の「こわい!」のメッセージでした。
おそらくまだ若い母猫。彼女は生粋の野良猫だったのでしょう。我が家で保護したときも、ケージのすみで小さくなって震え、手をさしだすと、ひかえめに威嚇しました。
先に保護していた生まれたての子猫たちと対面させ、授乳などを見守る日々の中で、距離は持ちつつも日常生活を送っていたのですが、いざ、避妊手術で病院に連れていくとなったとき、母猫「ヨナ」のがまんしていた恐怖心が爆発しました。
部屋中を逃げまどい、なんとかつかまえ、抱きあげると、持っている力のすべてを出しきって、ガブッ!
その日を境に、ヨナは完全に私を敵だと認識するようになってしまいました。
四六時中、ソファの下に籠城。
ごはんを食べたり、トイレをするときだけは出てきて、ソファの下で子育てをするように。完全な家庭内野良です。
家庭内野良との暮らし。なかなか手からごはんを食べてくれない
私と夫は悩みました。
「慣れてほしい」という気持ちももちろんありましたが、第一は、「せっかく家にいるのに、こわい日々を過ごしてほしくない」。
なんとかヨナが、私たち人間を信頼してくれるようにならないかと考えた末、さまざまな先人たちの知恵を思い出します。
たとえば、猫の好きなお菓子を手から手へ食べさせる。「こわくないよ」を伝えるために、優しくなでてあげる。
でも、こわがりのヨナは、それすら「攻撃される」とかまえてしまう猫でした。
そこで行き当たったのは「そっとしておこう」ということでした。
もう二度と、ヨナのこわいことはしない。
この場所が、あたたかくて、おなかが満たされて、嫌なことをされない場所なのだと、時間をかけて分かっていってもらおうと思ったのです。
ちゃんとごはんは出てくること。
おいしいウェットフードも、入れてもらえること。
子猫たちにも、私たちは悪いことをしないこと。
そんな毎日を繰り返し見せているうちに、ヨナは、カリカリを入れる音がすると自分からやってくるようになり、その時は、私たちを見上げ、なでさせてくれるようになりました。
半年かけて、なでられるようになった母猫
しだいに、ヨナがさみしそうに鳴いているとき、手をさしだすと「なでられたい」とおねだりするように。
あれから半年以上が過ぎ、ヨナは夫になでてもらうのが好きになりました。
思えば、私自身、学生時代にいじめられた経験を持ち、他者がとてもこわい人間です。
「愛されたい」と思いながら、「また傷つけられたらどうしよう」と、いつも野生動物のように怯えています。
ずっと、野良生活だったヨナだって同じ。きっと、私たちには想像もつかない「こわい」を経験してきたのでしょう。
無理やり心をこじあけるのではなく、ヨナのペースを大事にする。私が夫にそうしてもらったように。
そして、気がつけば、それまでふるえていたのがうそみたいに、ヨナも私も子どものように心を許せるようになったのです。
どこか似ている、こわがりのヨナと私。
今では、ふたりとも、「大丈夫」の夫のてのひらを待っています。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」