猫に薬を飲ませるには
いつでも健康でいてほしい猫たちですが、ときには体調を崩したりと、お薬を飲ませなければならない場面と出会います。
実は私は、自分で言うのもなんですが、なかなかの投薬上手。みんな、スムーズにお薬を飲んでくれるようになりました。
もちろん、最初から得意だったわけではありません。
私が投薬上手になった理由
それは、病気のために山のようにお薬を飲まなければならない猫との出会いがきっかけでした。
2004年に繁華街で保護したぼろぼろの黒猫「あい」。彼女は猫エイズと猫白血病のキャリアで、出会った直後は猫のウィルス風邪にもかかっていました。
猫エイズや白血病が原因だったのか、なかなか治らない風邪症状。ひどい下痢。最初は一錠だったお薬がしだいに増え、錠剤、粉薬、液剤、目薬、中には女性の親指の爪くらいある大きなカプセルまであったのです。
当時、私はまだ猫と暮らす初心者で、薬の飲ませ方なんてほとんど分かりません。
最初、野良生活で飢えていたあいは、粉薬や錠剤をウェットフードに混ぜても問題なく一緒に食べてくれましたが、満たされるにつれ、次第に薬だけ残してしまうように。
直接投薬は、スキンシップと愛と共に
さあ、直接投薬のはじまりです。
錠剤やカプセルは相対するように抱っこして、口を開いて奥にポンと放り込むのが一般的と知り、チャレンジ。でも、何錠もあるお薬。あいも口には入れても飲みこまないというイヤイヤを覚えてしまいました。
そこで、お口に放り込んだあとは、きゅっと閉じて、あいの口にチュッチュとキスをしました。すると、口が開きません。チュッチュ。チュッチュ。繰り返していると、仕方なしに、ごくんと飲んでくれたのです。
液剤、粉薬は、背中側から抱っこして。シリンジに液剤で溶かした粉薬を入れ、口の端から流し込んでいきます。この時、急ぎすぎて喉に詰まってしまわないように。この飲ませ方はわりとスムーズに飲んでくれました。
こんなに薬の多いあいだから、というのもありますが、錠剤のあと、水などで流してあげる代わりに液剤などを飲ませたのも、一石二鳥でした。
猫エイズと白血病のキャリアとはいえ、あいは、その後症状が落ち着き、推定十歳くらいまで普通の猫のようにごきげんさんに過ごしました。
ですが、別れの時。
幸い、猫エイズも白血病も発症しなかったのですが、癌にかかってしまいました。
それでも、不思議なほど、落ちついた状態だった、あい。永眠するぎりぎりまでごはんなども食べられたのですが、やはり最後の三日ほどはお水もあまり飲まなくなって……。
そんな時、助けてくれたのが、シリンジでのお水ゴックンでした。
私が抱っこすると、全身をあずけるように、あいは力を抜きます。そのお口の端から、少し甘くしたお水をゆっくりゆっくり飲ませていくと、あいはしあわせそうに喉を鳴らしました。
お薬を「嫌なこと」ではなく、「私とのスキンシップ」として覚えていた、あい。
フィナーレは、ただただ、優しいものでした。
この原稿を書こうとして、ふと昔のあいの日記帳を開きました。
いっぱいのお薬の記録。でも、それ以上に、あいが遊んだこと、おいしいものを食べたときのしあわせそうなウキウキ顔のことで、そのノートは溢れていました。
闘病が、私たちの絆を深めてくれた。
病気も含めて、私はあいと出会えて「ありがとう」と泣けるほど思うのです。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」