自分らしさが何か、わからなかった
「ねぇ、不安になったりすることある?」
つい先日、そう友人に聞かれて驚いたのでした。にんげんだもの、もちろんあります。むしろ、生まれてこのかた、人一倍揺らぎの大きいタイプでした。
小学生が大人になったような母、勝ち気で病弱な祖母、元祖ニートの祖父で構成される少し変わった家庭で育ったわたし、子どもの頃から必要な役割を演じてしまうところがあって、大丈夫なふりをするのが得意でした。
子ども時代に子どもでいられないと、自分らしく生きるのは難しくなる。いつだって頭で考えた「こうしたほうがいい」を優先してしまう大人になって、ギリギリの修業時代に耐えてやりたいことを形にした一方で、ほんとうのところ、自分がどんな人で何をしたいか、わからないままでした。
転機だったなぁ、と思う時間があります。店をはじめて3年ほどして、この仕事を続けていけそうだとようやく思えるようになったころ、わたしはいつも働きすぎてヘトヘトで、大きな仕事が終わるたびに、もう何も生み出せないのではないか、と極度の不安を抱えていました。
自分のことはいつも後回しにして、どうしても無理をしてしまう。でもそれが普通だと思っていたし、頑張れないのは自分が足りないからだと思っていた。
今あの頃の自分に会うことができるなら、ぎゅうっと抱きしめて、もう十分すぎるくらい頑張っているよ、と言ってあげたいなぁ。
訪れた変化、葛藤。自分を無視しないと決めた
この頃、大好きな先輩が突然亡くなって、自分はこのままじゃまずいな、と思うようになりました。
そこから少しずつ、我慢を減らして、やりたくないことは手放して。心や体のことを学んでみたり、“視える”人に相談してみたり。
自分は何が好きで何を心地よく思うのかを理解したくて、うつわも服もそれまでの自分が見たらびっくりするくらい買いました。きちんと暮らそう、そう思って、最終的に家まで。
自分にはそれだけの価値がある。そんなことを自分に教えるために、それだけお金を使う必要があったのだな、今はそう思っています。
そうこうしている間にコロナが来て、家庭のごはんをおいしくするために作ったわたしたちのびん詰めは、たくさんの注文をいただくように。
製造が忙しくなって仕事のバランスが取れなくなったのを機に、当時やっていた飲食店を閉めることに決めました。
あくまでわたしはびん詰めを紹介するためにお店をはじめたのだから。そう思うものの、飲食店はそこにあるだけで誰かの生活の一部に、希望や楽しみにまでなってしまう。
ずっと前から葛藤があった。店を閉めてしばらくした頃のInstagramにはこんなふうに書いていました。
わたしのなかのずっと尊重されてこなかった小さい人が始終大喜びしている感じ。これからやりたいことがぽんぽんと浮かぶようになったのにも驚いたし、朝起きて幸せな気持ちが内側にひろがる感覚っていつぶりだろう。
わたしは今はその小さい人を喜ばせるのに忙しい感じです。それがきっと自分をよい場所に連れて行ってくれると信じている。
ほんとうはいちばん大切にしなきゃいけない人、それは自分だと思う。この自分と一生付き合っていくのだから。
自分とのコミュニケーションをとるにあたって最初にやったことは、今の自分が感じていることをそのまま受け取って、感じること。それがなかなか難しい。
そして、小さな願いをすぐにかなえること。水が飲みたい、座りたい。今日はどこかでお茶したい、天気がいいから外に出たい。そんなちょっとしたことをすかさずやる。今どうしてもできないときも、なだめる。無視しない。
人は、自分の気持ちを無視していると、わからなくなってしまうものだから。
そうやって、自分との信頼関係をひとつずつ重ねてうまく付き合えるようになってきたら、いろんなことが好転してきたのをはっきり感じるようになって、そんなふうにしてやっと、独立したときからおぼろげにイメージしていた「移住」が視界に入ってきたのでした。
藤原 奈緒(ふじわら・なお)
料理家、エッセイスト。“料理は自分の手で自分を幸せにできるツール”という考えのもと、商品開発やディレクション、レシピ提案、教室などを手がける。「あたらしい日常料理 ふじわら」主宰。考案したびん詰め調味料が話題となり、さまざまな媒体で紹介される。共著に「機嫌よくいられる台所」(家の光協会)がある。
インスタグラム:@nichijyoryori_fujiwara
webサイト:https://nichijyoryori.com/
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