猫との初めての別れ
急に暑くなったせいでしょうか。
私の周りでは、体調をがくんと崩し、生き終わりのときを迎えようとしている猫たちが増え始めました。
ゲームの友だちの16歳になる黒猫「ココ」ちゃんも、そのひとりです。
つい三日ほど前まで、何の問題もなく元気に「ごはんごはん」とねだっていたのに、みるみる食欲が落ち、病院に通うも、「覚悟してください」の言葉を渡されてしまいました。
彼にとっては、はじめての猫の、はじめての生き終わり。普段、強気で冗談ばかり言う彼が、不安そうに今のココちゃんの状態と、自分にできることを尋ねてきました。
彼は言います。
「多分、明日あたり、延命するかどうかを獣医さんに訊かれると思う……」
延命するか、しないか。飼い主にできることは?
私は、今まで数々の猫を看取ってきた中で、少しずつ、「延命」というものをしない選択をとるようになってきました。
最初の頃は、「一日でも長く生かしたい」「治療できるのにしないなんてひどい」と思っていたのですが、どれだけ延命しても、いずれは訪れる最期のとき。
それなら、ただそばにいて、「いつもどおり」を過ごしたほうが良かったのでは、と考えるようになったのです。
猫にもいろいろいます。
病院が平気で、そこにいることが苦痛ではない子。
逆に、怖がりで、家以外のところではストレスがたまってしまう子。
その子の性格によって、病院で治療を続けるのか、それとも、どこかでラインをひいて積極的な治療はせずに住み慣れた家で「生き終わり」をともに過ごすのか。決める必要が出てきます。
最愛の猫が消えてしまうと思うと、心は正常ではいられなくなります。
失いたくない。死ぬなんて受け入れられない。
そんなときこそ、冷静さを一生懸命取り戻して、どうすることがその子にとって「しあわせなフィナーレ」なのかを決断していければと思うのです。
・その子のいたい場所(病院? 自宅?)
・欲しいもの
・されると嫌なこと
・感じていたい感覚
・聞いていたいと思う言葉
たとえば、それは、「ごめんね」ではなく、「ありがとう」「大好きだよ」なのではないかと。
まだまだ若い猫ちゃんと暮らし、「生き終わり」なんて考えることもできない方々もいるでしょう。
でも、いつか、そのときはきます。
そのときに、どうか少しでも優しい時間が流れるよう……。
「終わり」のことを心のすみに置いて、かけがえのない「愛の日々」を過ごしてほしいと願うのです。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」