(『天然生活』2015年3月号掲載)
町の湯に、京の台所の活気があふれる
錦市場商店街がにぎわいを増しはじめる昼下がり、「錦湯」の煙突から、もくもくと煙が上がりはじめました。道行く人が立ち止まり、空をちょっと仰いで、たなびく煙を眺めています。
地元の人にとってあの煙は、「今日も午後4時から深夜0時まで営業します。いいお湯が待っていますよ」の合図なのです。
ここで働く人たちの毎日の「湯治」場
錦界隈は昔から、水の質がよいことで知られています。いまでも豆腐屋や湯葉屋が多いのは、地元の天然地下水を使っているから。
「錦湯」も、井戸から地下水を汲んで沸かします。お湯がやわらかくて、風呂上がりにもつっぱらないと評判なのです。
昭和2年の創業以来、「錦湯」にはさまざまな人が集まってきます。地元の人、観光客、学生……。
なかでも、この場所を大切にしているのは、市場の人たち。野菜、漬物、つくだ煮、乾物、お菓子、寿司、魚……さまざまな季節の食材を扱うこの商店街は、毎日、地元客と観光客でにぎわっています。
働いている人たちは皆、朝から立ち通し。昔ながらの石畳や土間、という店も多く、冬場ともなると、体の芯まで冷えてしまいます。
仕事前、あるいは仕事終わりに「錦湯」へ寄って、ひと風呂。疲れが取れて体もぽかぽか温まります。
一番風呂はたいてい、居酒屋「てしま」のご主人・高田氣了敏(きよとし)さん。仕事前にひと風呂浴びて、さっぱりしてから出かけます。
「湯治みたいなもんやな」というのは、魚屋「津乃利」の八代目・藤田博邦さん。
鮮魚を扱う仕事柄、冷たい石畳に立ちっぱなし。仕事を終えた夜遅く、温かいお湯につかる喜びといったら。
「家湯もあるけど、やっぱり銭湯は格別やな。浅いほうのお風呂にもたれながら、常連とくちゃくちゃしゃべって、あったまって」
毎晩最後のお客は、「錦湯」の2階に住む落語家の月亭太遊さん。深夜のお風呂に、新作を練習する声が響いています。
受け継がれてきた飴色の柳行李
畑野良子さんも、「錦湯」に欠かさず通うひとりです。和菓子屋「畑野軒老舗」のおかみさん。
「私が好きなのは、電気(風呂)。湯につかると体の痛いところがビリビリして、手なんか動かへんほどきついおっせ。ご近所の方としゃべれるのもうれしいし、旅行の方に『どっから来てはんの』とか話せるのも楽しくて」
嫁いで以来50数年、「錦湯」の営業日には欠かさず通います。
「先代のときから、よう世話になったわ。いまの『錦湯』の旦那さんもやさしいで。私が足が痛うて、『お兄ちゃん、(営業時間より)ちょっと早いけど入れてな』っていうと『かまへんで』って、入れてくれるん。それに、柳行李のことだって、なあ……」
といいながら、畑野さんは柔らかなまなざしになりました。「錦湯」の棚に並ぶ、脱衣かごのことです。
数字入りのものはだれでも使え、常連さんたちは自前の柳行李を置く。それを親から子へと受け継ぎ、大切に修理しながら使っているのです。
畑野さんの家の柳行李は、「畑野」と書かれたふたつ。大きいほうが男性用、ひとまわり小さいほうが女性用です。
元は舅姑が使っていたそうですから、かれこれ半世紀以上にわたって用を満たしていることになります。
畑野さんのご主人もここのお湯が大好きで、好きな時間に通っていました。そのご主人が亡くなって、もうずいぶんたちます。息子さんたちも独立して家をもち、自宅のお風呂に入っています。
畑野家で錦湯に通うのは、良子さんひとりとなりました。
「そやから、『もう男湯は入らへんから、柳行李もかたしてください』って錦湯のお兄ちゃんにいったんやけど。お兄ちゃんな、女湯のほうに、主人の行李を置いてくれはってるの」
女湯の棚には、「畑野」の名入りの柳行李が仲よくふたつ。
「あのお湯があって、幸せやな。だって、親切なんやもの」と畑野さんが笑いました。
人が人らしく生きるには銭湯という場所が必要
けれども、だれよりも「錦湯」を愛しているのは、もしかしたら、「錦湯」の三代目・長谷川泰雄さんかもしれません。
錦生まれの錦育ち。子どものころは、学校から帰ったら廃材をリヤカーで運んで銭湯の前に積み、薪割りをするのが日課だったといいます。
大学生になるころ、燃料は薪から重油に変わりました。ようやく自分の時間をもつことのできた長谷川さんは、それまでにできなかった山登りや音楽鑑賞に明け暮れたといいます。
和歌山で林業に従事中、けがをして京都に戻った長谷川さんは、若くして亡くなった父の跡を継いで、銭湯を切り盛りするようになったのです。
長谷川さんはいま、通常の銭湯営業だけでなく、銭湯でのイベントを毎週のように企画しています。
「懐メロより、いま生きている音を聞きたい。それに、せっかくやるなら、本気で、面白くなくては」と、DJのイベント、ジャズライブ、落語会を。
長谷川さんの人柄を慕って、世代を超えた人たちが集まってきます。
こうしたアイデアも、銭湯に気軽に入ってもらいたいから。銭湯を敬遠していた若い世代が、これをきっかけに通ってくれたらと願っているのです。
長谷川さんの思いを、商店街の人たちも知っています。錦小路でイベントの差し入れを買い求める長谷川さんにそっとおまけしてくれるのは、ささやかな応援と、日頃の感謝の気持ち。
「昔は、このあたりの銭湯も、コンビニと同じくらいたくさんあったんです。銭湯は、他人のおっちゃんが若者に、社会を教えてくれる場所。風呂の入り方から、あいさつの仕方まで、きちんと教えてくれる。それに、金持ちも貧乏人も、地元の人も旅人も、裸なら、皆一緒。人間としてつきあえる場所なんやね。こういう場所がなくなっていったら、『町』なんていえないと思う」
静かに語る長谷川さんの頭上にはいつものように大煙突の白煙。
湯船の中で、洗い場で、脱衣所で、楽しげな会話が聞こえています。顔なじみとあいさつしている人、観光客に話しかけている人。
「おーい、あがるでえ」と男湯のほうから声が聞こえ、のどかな湯の音が響いてきました。
※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです
〈撮影/伊東俊介 取材・文/渡辺尚子〉