発症しない可能性もある。だけど……
「毎日をごきげんさんで過ごしたら、ウィルスに感染していても、発症しないまま一生を終える子も、まったくいないわけじゃないんですよ」
猫エイズと白血病と診断された猫「あい」を病院に連れていった時、獣医さんに言われた言葉でした。
希望のはずのそれは、だけど、私の心をちくりと刺しました。
生きづらさを抱え、日々、不安を抑える薬を手放せない私。「毎日ごきげんさん」だなんて、まるで夢みたいな現実の目標だったのです。
猫らしくない猫
無人のアパートでお世話をはじめたあいは、今まで出会ったどの猫とも違いました。
猫といえば、起きると遊び、ごはんを食べては遊び、眠って起きてはまた遊び……。何がそんなに面白いのかというくらい、動くものを見ると飛びかからずにいられないといった猫の習性が、あいには全くなかったのです。
紐を見せても、ボールを見せても、ふんふんとにおいを嗅いで、食べられないとわかるとそっぽを向く……。あいのためにと奮発したおもちゃは、すぐに部屋のすみのほこりにまみれました。
そして、ビニール袋。あの独特のパサパサという音を聞くと、猫という猫がワクワクお尻を振って中にもぐりこむそれには、興味を示さないどころか、異常なほど怯え、逃げだしました。
そもそも、あいは、安心するということがありませんでした。あいの眠りはとても浅く、けっして、手足を伸ばしてリラックスすることはない……。
香箱座りのまま、ほんの一瞬目を閉じるけれど、小さな音で、すぐに目を覚ましました。ごきげんさんとは程遠い日々に、私の不安はますます高まりました。
このままでは、あいは発症してしまうかもしれない。
あいをしあわせにしてあげたい。
だけど、あいのしあわせって、一体なんなのだろう。あいを助けたつもりだったけれど、あいは、あの繁華街で、ずっといたほうが良かったのかもしれない。そんな後悔すら頭をよぎりました。
だけど……
「また来るからね」
そう言って、あいの部屋のガラス戸を閉めると、あいは慌ててやってきて、ガラス戸の向こうで、じっとこちらをみつめていました。「本当にまた来てくれる?」というふうに。
ごはんが欲しいとうるさいくらい泣くのに、耐えるような静かな見送りが、私の胸をぎゅっと摑みました。そして思うのです。
あいが待っているから、明日も来よう。今日を生きよう――と。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」