(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)
たにゃ捕獲への道
準備
準備はこんな感じ。
たにゃ、朝ご飯は抜いた。動物病院にも電話した。
「野良猫で、、野良猫なんですけど、、」って自分でも何言ってるのかわからなくなった。
クスッと笑いながら「待ってます」って言ってくれた。あとは神頼み。吐きそう。
祈り
歌舞伎町の神様へ。
近くで見てたでしょ? 目を背けたくなるような環境で一生懸命生きてきた白い命。
「たにゃ」に聞いてみてほしいんだ。
もし家猫になりたい、って言ってるのなら力を貸してください。
そして捕獲失敗
ダメだ、、ダメでした。ごめんなさい。
僕はここだってときに決められないんだ。昔からそう。
なんでさ、ずっとじゃん、ずっと辛いことしかないじゃん。
もうそろそろいいだろ。もう無理ってほど、踏んばってんじゃん。小さな部屋でたにゃと一緒に、、ってそんなに贅沢な夢ですか?
大失敗。大失敗しました。
捕獲器に入ってルンルン♫でご飯食べてたんです。今日はいける。近寄っても捕獲器から出ない、チラッと見るだけ。扉閉められたんです。
「よし!! やった! 鍵を!」ってもたついている間にこじ開けられて、、遠くに走っていっちゃって……。
一度は閉まったのに…。扉をゆがめながらこじあけて、、力強い、、。
また一から
ごめん、ほんとごめん、、たにゃごめん、、何度も謝って… 近寄って謝って、、ご飯を置いて少し離れてみたら食べてくれはした、、んですけど…またイチからだ。
明日この場にはいないかも? もう会えない? ここは危険、僕は敵って思っちゃった?
猫の保護団体とか慣れた人に、って声もたくさんいただきました。
ほら、だから言ったじゃん、、って言われたら返す言葉もありません。ただ僕なら納得してくれると思ったんです、たにゃも。僕になら捕まっても仕方ないかなって思ってくれるんじゃないかって。
だからたにゃを保護するとき、たにゃの目には僕しか映りたくなかったんです… 僕だけで終わらせたかった…ただの自己満足なのかもしれません…。
僕ひとりで抱きたかった… 結果こうなってからでは遅いかもしれませんが、、ごめんなさい、、ごめんなさい…。
たにゃとパパが家族になって
2022.9.21
速報!
たにゃ保護!! たにゃ保護!!
お名前、たにゃ。
動物病院のカルテに名前が書かれた瞬間、なんか認められたような、、家猫になれた瞬間というか、、なんというか、、たにゃの血すらもうれしくて、、
これ、たにゃの血?って何回も聞いちゃって、検査の結果もよかったね。
よかったね、、さぁ帰ろ。
パパさんのこのときの気持ち
一生のお願いです。もう何もいらない、ほかには何もいらない。一緒に住ませてくれ、って本気で願ったの、覚えています。
保護当日も手伝いにきてくれたボランティアさんに、「本当に? 本当に? 大丈夫? 大丈夫?」ってしつこかったでしょうね、、、。でも覚えてます、あの時のボランティアさんの目。「大丈夫」って強く言ってくれた目。
うん、うん、、、信じるねって。その時、「ガシャーン」って捕獲器の扉が閉まる音がして。入った~って! たにゃ入った~!!ってうれしくて。だから、もう僕、一生のお願い使っちゃったんです、、、後悔はないですよ。
2022.9.23
ずっとずっと前を向いてれば神様と目が合う時が来る。
僕はたにゃにそう教えられた。
なんでさ、なんでさ、ってゴミ食べてた時だってあったと思う。
今慣れない場所で不安だよね。
でも目の前にいるおっさんは約2年間毎日話したあのおっさんだ。
安心しろ、たにゃ。
2022.12.23
自由な世界から狭いところに閉じ込めてごめんな、とも思うし、こんな姿を見ると、これでよかったのかな、とも思うし、、わからない。
ただ狭いってのは努力で変えることができる。
頑張って広々した部屋に引っ越せばいい。
まだまだ俺たちはこれからだ。行くぜ。
本記事は『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』(扶桑社)からの抜粋です
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【スペシャルインタビュー】
「たにゃ」とともに暮らすことになって、10か月。「たにゃ」と「僕」との現在の暮らしについて、たにゃパパさんに伺いました ⇒
たにゃパパ
関西出身、現在は東京に暮らす。歌舞伎町で働いて20年ほど。実家で犬と暮らしていたことはあるけれど、猫と暮らすのは「たにゃ」がはじめて。2022年2月からたにゃのことを綴ったtwitterを開始し、2023年7月現在、フォロワーは1万6000人。はじめての著書『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』(扶桑社)を2023年8月に発売。
ツイッター:@kabukinoraneko
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人生をあきらめた「僕」は喧騒の街でひとり生きる猫と出会った。それは「君」が起こした奇跡。Twitterで話題、歌舞伎町に生きる野良猫とおじさんの泣けるフォトエッセイ。