(『Life Closet』より)
不要な自我を手放したら、生きることがラクになり、心が軽やかに
60代半ばで自分の会社の立て直しに奔走し、その無理がたたったのか、病気が悪化して脚のむくみがひどくなり、病院を訪ねたところ即入院となりました。
ところが、当時の私は素直じゃなかったんですね。自分の体のことは自分がいちばんよくわかっていると言い張って、医師が提案した治療を拒み、家族や会社のスタッフなど、みんなに心配をかけてしまいました。そんなとき、ある友人から言われたのです。
「西さんのいちばんの敵は自我だよ。病気になったら、お医者さまの言うことを素直に聞いたほうがいい」って。
そのひと言が心に突き刺さり、「まな板の上の鯉になろう」と反省。それまで背負っていた重い鎧を脱ぎ捨てて、医師が提案した治療に専念したおかげで元気に退院することができました。
この経験を通じて、なにごとに対しても「こうすべき」「こうあるべき」と頑なにこだわっていた自分が徐々に変わっていきました。
不要な自我を手放し、自分自身を解放したことで、それまでとは比べ物にならないほど生きることがラクになり、心も軽やかになっていったのです。
「私、最近いい人になった気がするのよ」
70代になった今、時折、友人につぶやきます。そうすると、「そう? 昔からいい人だったわよ」と、笑ってくれる。
今の私になれたのは、暗いトンネルの中で悶々と悩んでいた60代があったから。
そんな日々を経たことで、年齢を重ねることは「老化ではなく成長」だと、前向きに受け入れられるようになったのです。
自分の機嫌は自分でとる
60代からの人生を楽しむために、「自分の機嫌は自分でとる」ことを意識するようになりました。
正直な話、もともとの私はそれほどポジティブな性格ではありません。些細なことを気にしてくよくよ悩んだり、落ち込むときはどん底まで落ち込みます。
そんなアップダウンの激しい自分の機嫌をとってあげられるのは自分だけ。自分自身に、常にそう言い聞かせるようにしています。
たとえば、仕事に出かけようと思った矢先に電話がかかってきて家を出るのが遅れ、ただでさえ焦っている上に、車を走らせれば信号はすべて赤。そんなとき、怒ってイライラしていると、たちまち心がネガティブなモードになってしまいます。
「今朝、掃除をしないで、家を出たせい?」「夕べ、息子と口ゲンカをしたから、こんな目にあうの?」悪いほう、悪いほうへと考えて、どんどん落ち込んでしまうのが私の悪いクセ。
そんなときは、「ええ、ままよ」と開き直って、発想を180度変えるようにしています。
「多少、家が汚くても死ぬわけじゃない」「赤信号は、焦って危険な運転をしないように、私にブレーキをかけてくれたんだ」というように。そうすると、心がふっと軽くなり、自然と笑顔になれるのです。
雨が降って憂鬱な日でも、「よかった。公園の木や花が喜んでいる」と考えれば、穏やかな心で一日が過ごせます。「今日はなんの予定も入っていない」とヤル気が出ない日は、「やった! 新しくできたパン屋さんに行けるいいチャンス!」とポジティブに。
そんなふうに考えられるようになったのも「年の功」かもしれません。
※ 本記事は『Life Closet』(扶桑社)からの抜粋です
〈撮影/山川修一、山田耕司〉
西 ゆり子(にし・ゆりこ)
◇ ◇ ◇
70代の現役スタイリストとして活躍する西ゆり子、初のフォトエッセイ。 幼いころから今に至るまでの服へのこだわりや、服を選ぶときの考え方、人生の喜びや悲しみとともにあった服のことなど、「服」と「生き方」にフォーカスした44篇を収録。
今日着る服は、今日選ぶ。それが私のやり方です。朝起きて、雨がしとしと降っていたら、水たまりなど気にせずに雨を楽しめる装いで出かけたい。――また、真っ青に晴れ渡った空に爽やかな風が吹いている日は、自然と新しい服を着たくなります。どこかに飛んでいきたいと感じるような風になびくデザインで、陽の光に映える色の服を着て出かければ、一日中、ワクワクして過ごすことができると思うから。(本文より)