愛する猫を看取るとき、私にできるただひとつのこと
どれだけ愛し、そばにいたいと願っても、猫との別れの日はいつか訪れます。
そして、その局面に至ったとき、自分がどうするべきなのか、毎回、迷う私がいます。
我が家では、これまで数多くの猫の看取りを経験してきました。
なぜでしょう。不思議なほどに誰もが最期の瞬間を私たち夫婦に立ち会わせてくれ、かけがえのない時間を過ごせてくれました。
猫を見ていて、「あ、もう長くはないな」と気づいたとき、一度は脳裏をかすめます。
今すぐ病院に行けば、もしかしたら、あと少しだけでも――。
連れていく? でも動かすのも苦しそう……。
夫と無言で視線を交わし、どちらからともなく頷きます。
これ以上、無理はさせないでいよう。「このまま」を見届けよう。
そうして、いよいよそのひとみを閉じてしまったとき、気持ちは全く揺らがないとは言えません。あのとき、まだあがけば良かったのか。この子は、もっと生きたいと願っていたかもしれない、と。
それでも、病院をめざし、もし間に合わなかったら?
病院へ運ぶ寒空の下、揺れる私の手の中で息を引き取ったら――私が後悔すると思うのです。もちろん、猫の気持ちは分かりません。だけど、私はきっと、もっとゆっくりお別れを言いたかったと泣き崩れることでしょう。
そんなふうに、自分のひとりよがりをなぐさめることしかできなかった私に、二週間ほど前、心の転機がありました。
うつの薬が変わり、不調になった私に夫がしてくれたこと
それは、私が精神科での薬の変更に伴って体調を著しく崩してしまったときのこと。
心臓は早鐘のように打ち、息は上がり、ゼイゼイと過呼吸のような状態でベッドで体を横にしていました。苦しすぎて、眠ることなんてとうていできません。そのときは薬が原因とも分かっていなかったので、頭を「死」の一文字がよぎりました。
こわい。苦しい。こわい。こわい。
そばにいた夫は悩みました。明らかに私の状態は良くない。でも、病院に行くとして、どの病院に行けばいい? 近所の総合病院はヤブなことを知っている。町医者だと設備がない。救急車を呼ぼうにも、そこが名医である保証もない。こんなに苦しそうな私を立ち上がらせて、着替えさせて、いくつもの検査をさせる。それはよけいにかわいそうなんじゃないか、と。
「病院……行きたい?」
振り絞るように夫が訊きます。私は震える体でかぶりを振りました。そして夫に言います。
「この家にいたい。一緒にいて」
その言葉に頷くと、夫は、ただ、私の体を優しくさすりました。そして、「大丈夫だよ。好きだよ。えらいな。大丈夫」と声をかけ続けたのです。
その声を聞きながら、私は思いだしていました。ああ、これは、いつも私たちが、最期の瞬間の猫にかける言葉だ。するしぐさだ。今、私は心地いい。安心している。このまま死んでも悔いはない。私はしあわせだ――。
ずっと苦しみで閉じれなかったひとみが閉じ、私はそのまま眠りに落ちました。
「そのとき」の猫たちの気持ちを知るすべはありません。
でも、自分が似た経験をして、今まで何の自信もなかった自分たちの行いに、少しだけ「それでよかったのかもしれないよ」をあげられた瞬間でした。
これからも、私は猫を見送るでしょう。
獣医さんじゃない私に治療はできない。だから、治す方法が何もかも尽きたとき――。せめて、優しい声を、言葉を、かけ続けたいと願うのです。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」