• 幼いころから、頭の中でぐるぐる考えるタイプだった菊池亜希子さん。そのぐるぐるを文章にすることで、つかみきれない感情の正体を突き止めてきたといいます。たとえば、優先順位を決めてこなすタスク管理が苦手なのに、あえてトライしてみた日。ぐるぐる悩みながら、だらしのない自分に流される様子について、綴っていただきました。
    (『へそまがりな私の、ぐるぐるめぐる日常。』より)

    消えたタスク

    友人の子どもが、保育園からインターナショナルスクールに転園した。その理由は英語以外にもいろいろあるみたいで、「小さいうちから1日の中でよりたくさんのタスクをこなせるように」みたいなことを友人が言っていて、私の顔は目が☆の絵文字みたいになった。もちろんスクールによるとは思うのだけど、そのスクールは30分単位で時間割が決められており、やることがとにかくいっぱいあって、毎日クタクタになって帰宅しバタンキューと眠るのだそう。

    もうひとり、知人の子どもで幼児期からインターに通う小学生の子がいるのだけど、彼はタブレットでゲームをやりながら画面の端にもうひとつ画面を開き、コナンを見ていた。聞くと「同時に複数のことを処理できるように脳をトレーニングしているんだ。もともとこういうのは女の人のほうが得意みたいだよ」と教えてくれた。私の目は再び☆になった。

    私は料理中に本を読んで鍋を焦がす系の、同時に複数のことができない典型的な人間だ。ひとつのことに没頭して、じっくりコトコト丁寧に煮込みたい。

    最近、動画を倍速で視聴する人が増えているみたいで私も試したことがあるのだけど、ネット広告でよく見かける「サチコ40歳、最近夫の様子がおかしい」的な早口アニメの音声みたいで、なんだかソワソワする。倍速って、あらすじは追えるけど、余白も余韻もすっぽり消え去ってしまう気がする。こんなことをしていたら私も灰色の男(時間泥棒)になってしまうわ(そう、私の愛読書は『モモ』です)と思ってすぐやめた。

    画像: こちらのエッセイ「消えたタスク」は、『へそまがりな私の、ぐるぐるめぐる日常。』に収録されている

    こちらのエッセイ「消えたタスク」は、『へそまがりな私の、ぐるぐるめぐる日常。』に収録されている

    例えばオーディション番組やリアリティショーみたいな登場人物が多いコンテンツを見始めると、出てくるすべての人をちゃんと知りたくなり、どんなちっぽけなシーンや言葉も聞き逃すまいと、何度も巻き戻したり、一時停止して自分の身に置き換えて考えてみたりして、まあとにかく進まない。読書もそうだ。引っかかるフレーズが出てくると立ち止まって何度も繰り返し読む。

    まさに反芻(はんすう)。ひとつの物事をのみ込んでは吐き出し、再びよく嚙んで嚙んでもぐもぐ味わう、牛みたいな人間。リアルに物を食べるときもやたらよく嚙むので、よく友達に「味わうねぇ」と感心されるけど、じっくり味わいすぎて取り残され、最後に焦ってかっ込んで〝味も何もわかったもんじゃない〞みたいなことになりがち。

    そもそも私はこれまでの人生の中で、〝タスク〞という単語を使ったことが一度もなかった。本当に一度も。だから、タスクの意味もイマイチ理解していなかったので、とりあえず辞書を引いてみた。〝TASK〞【名】1任務、課題。2(期間内に終えるべき)仕事、職務。3(重要な)役割、目的。4コンピューターが処理する仕事の単位。

    ほうほう、なるほど。要は、〝やらなきゃいけないこと〞ですね。〝JOB〞や〝WORK〞にも似ているけれど、〝TASK〞は優先順位を決めてこなさなければいけない大事な業務ってニュアンスでしょうか。なるほど、私が人生の中で一番苦手なことかもしれない、タスク管理。

    でも、〝TASK〞っていう響きはなんだか格好いい。SKで終わる単語は、割と好きなのだ。〝RUSK〞とか〝KIOSK〞とかね。なので、私はタスクマスターになるべく、〝やらなきゃいけない大事なこと〞を書き出してみることにした。□人間ドックの予約 □ハロウィンの衣装 □粗大ゴミ手配 □メールの返信 □引き出しの整理 □原稿 □前髪カット □子ども部屋改装 □青空エール(漫画)を読む。

    タスクとTO DOリストを混同している時点でそもそも間違っている気がするけれど、それはひとまず置いておいて。最後のやつは、どう考えてもタスクには入らないのだろうが、読みたい漫画はいつだって大事なことの行く手を阻む。こいつをやっつけないことには次へ進めないので、これも重要なタスクだ。

    そもそもなんで今更10年以上前の漫画を読んでいるかというと、夏休みに泊まった宿に全巻置いてあって、〝夏〞に煽(あお)られついつい読み始めてしまい、全19巻を宿泊中に読破できるわけもなく、後日中古で全巻買いしてしまったのであった。吹奏楽部でトランペットを吹く女の子と、甲子園を目指す男の子の青春ストーリー。私も吹奏楽部出身なので、ハマるに決まっていた。

    やるべきことは他にたくさんあるのに、わざわざ沼に入りに行く性分をどうにかしたいけど、多分心の底からどうにかしたいと思っていないので、直らない。

    画像1: 消えたタスク

    さて。まずはどれからやっつけようか。とりあえず体が資本でしょってことで、ずっとあとまわしにしていた人間ドックの予約をしよう。「都内 人間ドック」で検索をかけ、口コミをチェックしていく。それなりに点数が高くても、やはり一定数ネガティブな意見もあるもので、一長一短なかなか決められない。

    インターネットが普及したことで、我々は「よりよいものを選択したい根性」が強くなってしまった気がする。それしか知らなければ、「そういうものだ」と受け入れられるのに。選択肢が多いことが豊かとは限らないよねと、ネットサーフィンをしていていつも思う。ほら、気づけば調べ始めてからあっという間に1時間を経過してしまった。

    よし、ここはひとまずあとまわしにして、テンションが上がることから攻めよう。私はせかせかと子ども部屋の採寸をしてIKEAへと車を走らせた。そこはもともと私の小さな書斎スペースだったのだけど、最近はすっかり子どもたちに乗っ取られ、床で塗り絵や工作をしたりと無秩序にやりたい放題だったので、子ども用の机を置いてあげようと思っていたのだ。

    IKEAに到着した私は、メモを握りしめ早足でキッズ用品エリアへと向かう。ふと真っ赤な小さい机が目に留まる。赤い家具なんて普段なら選ばないけれど、子ども部屋だったらいいかもしれない。この色は廃番のようで、値段もお安くなっている。ケンカにならないよう姉と弟それぞれの机を買うつもりなので、赤い机の写真を撮り、アプリを駆使して写真を合成し、赤い机が2台連なっている様子をシミュレーションしてみる。

    うーん、派手。そもそも赤い机って落ち着かないのではと思い調べてみる。どこぞの大学教授によると、〝赤色は脈拍を上昇させ人を興奮させる作用があるため、集中する作業には向かない〞そうな。いつもテンションが高い子どもたちをさらに興奮状態にさせてどうする!と思い、赤は却下。

    その隣にあったサイズがひとまわり大きめの机は、打って変わって落ち着いたグレーで素敵。写真を撮って再びシミュレーション。子ども部屋にしてはシックすぎるかもしれない。ならばカラフルな椅子を合わせたらどうだろうかと黄色い椅子を合わせてみる。グレーに黄色は好きな配色だ。

    少し離れた場所から薄目で眺め、両手で周りの景色を遮断し、我が家の子ども部屋に脳内でワープさせてみる。ほうほうほう、よさそうじゃない? でもやっぱりこの赤い机も、子どもらしくて捨てがたいなぁ(反芻グセ発動)。じゃあ赤とグレーを並べたらどう? その場合椅子は何色と何色? テレコにするとか? 気づけば私は子ども机コーナーに2時間近く居座って不審な動きを繰り広げていた。

    画像2: 消えたタスク

    散々悩んだ末「グレー2台並べ」に心が決まったのだけど、サイズ的に置けるかギリギリそう。さあここでメモの登場だ。と思いきや、あれ? メモがない! ポケットをまさぐりカバンもひっくり返したけれど、どこにもない。というか、メモはずっと握りしめていたはずだった。きっと無意識にどこかに置いたのだろう。

    私は焦って子ども用品売り場を探し回ったけれど、部屋の寸法が書き込まれたタスクメモは神隠しにあったかのように姿を消してしまった。私のタスクよ、さようなら。一気にやる気を失った私は、何も買わずIKEAをあとにし、魂の抜けたような顔で向かいの日帰り温泉にインした(IKEAとセットでたまに行くお気に入りの場所)。

    こうして私のタスクは宇宙へと消えていった。お気づきかと思うのだけど、書き出したタスクを私はこの日何ひとつ消化できなかった、そうひとつも。つまりゼロ。だけどそのゼロの中には両手でも抱えきれないほどいっぱいの、目には見えない〝ぐるぐる〞が詰まっているのだヨ。

    カシオペイア(『モモ』に出てくる亀)も言っていた。「オソイホド ハヤイ」「ミチハ ワタシノナカニアル」ってね。タスクは1個もこなせなかったけれど、ほらこうやって思いがけずいい時間を過ごせている。

    私はお風呂上がりに食堂でラーメンを食べながら、「私は私の上司にだけはなりたくないなぁ」とぼんやり思った。もし私が私の上司だったら、モモを窓から放り投げるかもしれない。取り急ぎメールをまとめて返信し、私は再びムダの宇宙へと消えていった。

    本記事のエッセイは、『へそまがりな私の、ぐるぐるめぐる日常。』(宝島社)からの引用です。写真は新たに撮り下ろしています

    〈撮影/千葉亜津子 ヘア/山下亜由美〉


    菊池亜希子(きくち・あきこ)

    1982年生まれ。岐阜県出身。モデル・俳優・エッセイストとして多方面で活躍中。二児の母。著書に『みちくさ』(小学館)、『またたび』(宝島社)、『好きよ、喫茶店』(マガジンハウス)などがある。毎週土曜日、インターエフエムのラジオ番組『スープのじかん。』のパーソナリティーを務める。インスタグラム@kikuchi akiko_official

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    『へそまがりな私の、ぐるぐるめぐる日常。』(菊池亜希子・著/宝島社)|amazon.co.jp

    『へそまがりな私の、ぐるぐるめぐる日常。』(菊池亜希子・著/宝島社)

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    日常を菊池亜希子流の視点でとらえた『リンネル』の連載が一冊にまとまって話題になった単行本『へそまがり』の第2弾が登場です。子育ての苦悩を綴った「おそろい」、夫との小競り合いエピソード「鍵」、オタクとしての想いが溢れる「roundabout」など、家族、暮らし、思い出、推しにまつわるエピソード42篇を収録。

    巻頭では菊池さんの等身大の姿をとらえたグラビアを掲載。『リンネル』愛読者、菊池亜希子ファン垂涎の一冊です。



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