• 発酵学者・小泉武夫さんが自らの厨房「食魔亭」でつくり上げた、春の料理「アサリの卵丼」の滋味あふれるエッセイとレシピを紹介します。発酵研究・料理家の真藤舞衣子さんが料理を再現。おいしいお酒とともにお楽しみください。
    (『サバの味噌煮は、ワインがすすむ』より)

    ムッチリポックリ妙味。「アサリの卵丼」

    東京に伝わる「深川めし」は酒と塩、味醂、ダシ汁などで味付けしたむき身のアサリをめしと炊き込んだもので、江戸時代からの深川近辺の郷土料理である。

    味付けしたアサリはめしととても合うのか、ずっと前にイタリアに行ったとき、実に美味しいリゾット風の料理を食べたことがある。

    そのつくり方を教えてもらうと、アサリをニンニクやタマネギとともにバターで炒め、塩とコショウで味を付けてからコンソメと水を加え、そこにめしを入れて煮、水分がなくなったら粉チーズ、みじん切りしたパセリ、パプリカを振りかけて出来上がりという。アサリの飴色、めしの淡黄、パセリの緑、パプリカの赤がとても美しく、また美味であった。

    さて我が輩は、そのアサリを使った卵丼が大好きなのでよくつくる。

    これは深川めしとはまったく違う俺流のレシピで、卵1個をよくほぐして塩少々を入れる。

    アサリ(40グラム)は薄い塩水できれいに洗い、水気を切ってからさっと湯通しし、醤油少々をかけて下味をつけておく。

    トマト(1個)は熱湯をかけて皮をむき、4つ切りにしたうちの1切れを角切りにする。アサツキ(1本)は小口切り、溶き卵の中にアサリ、トマト、アサツキを入れて軽く混ぜる。

    中華鍋に油を引き、よく熱してからアサリ卵を流し入れ、そのまま置いて、卵がブクブクとしてきたら素早くかき混ぜ、ほどよい半熟状になったら火を止める。

    それを丼に盛った温かいめしの上にかぶせて、1人前の出来上がり。

    その「アサリの卵丼」の何と美しいことか。卵の鮮やかな黄色の中にトマトの赤とアサツキの緑が目に冴え、そこにポテポテとしたアサリの飴色の身が点々と散っている。

    それではいただきましょうかと、左手にズシリとして温(ぬく)もりのある丼を持ち、右手に箸を持つ。

    そして丼の縁に唇を触れるようにしてから、箸ですくってごっそりととり、口に入れてムシャムシャと噛んだ。

    すると瞬時に卵丼特有の、甘じょっぱく食欲をそそる匂いが鼻の周りに漂う。口の中では先ず卵のトロトロとした半熟体が広がり、その中をめしとアサリが舞うように踊っている。

    そしてアサリが歯に当たってムッチリ、ポックリとし、そこから貝特有の奥の深いうま味と優しい甘みとがチュルチュル、トロトロと湧き出してくるのである。

    まためしも歯に応え、ホクホク、ムチムチとしてから、めし特有の耽美な甘みと上品なうま味とがじゅんわりと流れ出てくるのである。そのあまりの妙味につられて、あとはもう夢中でウガウガ、ガツガツとその丼めしを貪(むさぼ)っていると、そのうちに丼は恥ずかしそうに底をさらけ出すのであった。

    このような味とうまみの濃い丼めしに味噌汁は似合わないといつも思っているので、大概はさっぱりとしたほうじ茶の熱いのを脇に置いて食べている。

    するとアサリ丼の濃厚な美味しさに、さっぱりとしたほうじ茶は実によく合い、それこそ江戸風のいなせな粋まで味わえるのである。

    アサリは身もポッテリとしていて味も濃く、やや黄色みを帯びた飴色は実に食の欲をそそらせてくれる。まろやかで上品で絶品。アサリはこの時期、光沢を放って誘ってくるのである。

    「アサリの卵丼」のつくり方

    画像: 「アサリの卵丼」のつくり方

    半熟卵の中を舞う、貝とめしの濃いうまみ。

    材料(1人分)

    ● 新アサリ(むき身)40g
    ● 卵1個
    ● トマト1個
    ● アサツキ1本
    ● 醤油適量
    ● 塩少々
    ● 油大さじ1
    ● ご飯適量

    つくり方

     アサリは塩水で洗ってからさっと湯通しし、醤油少々をかけて下味をつける。

     トマトは湯むきして4つ切りにし、1切れを角切りに、アサツキは小口切りにする。

     ボウルに卵を割り入れ、トマトの角切り、アサツキ、醤油、塩を入れて混ぜる。

     中華鍋に油を入れ残りのトマトを炒め、を流し入れる。卵がブクブクしてきたらかき混ぜて半熟状になったら火を止め、温かいご飯の上にのせる。

    本記事は『サバの味噌煮は、ワインがすすむ』(日経BP 日本経済新聞出版)からの抜粋です

    〈初出/日本経済新聞夕刊2023年3月13日 撮影/竹内章雄 編集協力/田中順子〉


    小泉武夫(こいずみ・たけお)
    農学博士、発酵学者、文筆家。1943年福島県の酒造家に生まれる。(財)日本発酵機構余呉研究所所長、東京農業大学教授を経て同大学名誉教授。現在は鹿児島大学、福島大学、石川県立大学、宮城大学等の客員教授。『食あれば楽あり』(日本経済新聞出版)、『発酵食品と戦争』(文春新書)など著書は150冊を超える。2024年3月、日本経済新聞の長寿連載「食あれば楽あり」を新書化した『サバの味噌煮は、ワインがすすむ』(日経BP 日本経済新聞出版)を発売。

    真藤舞衣子(しんどう·まいこ)
    料理家。東京都生まれ。会社勤めののち、京都の大徳寺塔頭で1年間生活。その後、フランスへの留学、発酵食を中心とした和食、フレンチ、パン、スイーツなど、手がける料理は幅広く、作りやすくてセンスのいいレシピが常に評判。料理教室、レシピ開発、テレビやラジオ出演など幅広く活躍。『発酵美人になりませう。』(宝島社)など著書多数。

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    『サバの味噌煮は、ワインがすすむ』(日経BP 日本経済新聞出版)|amazon.co.jp

    『サバの味噌煮は、ワインがすすむ』(日経BP 日本経済新聞出版)

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    発酵学者・小泉武夫博士が自らの厨房「食魔亭」でつくり上げた季節の料理を滋味あふれるエッセイとともに紹介。発酵研究・料理家の真藤舞衣子さんが再現した料理のレシピも付いて、読んで楽しめ、つくって楽しめる、エッセイ本です。日本経済新聞夕刊の長寿連載「食あれば楽あり」を新書化。



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