108歳、シツイばあちゃんの「当たり前」
「自分のことは自分でやる」がモットーです。
考えすぎない。
余計なことで悩まない。
いつも機嫌良くしている。
一つ一つをきちんとやる。
まずは自分自身を整えて、自分のことは自分でやる。
みなさま、はじめまして。箱石シツイと申します。
108歳を迎えますが、栃木県は南那須の山奥のほうで、理容師をやっています。
ひたすらその日その日を精一杯暮らしてきた長い年月の中で、少しずつ感じてきた、生きるための心持ち、みたいなことを綴っていきますので、誰かのお役に立てたらいいな、とは思っています。
親から子へ。"幸せな人生"を生きるための教訓は、3つの「ず」
「お母さま」から「シツイさん」へ
「人を恨まず・人を妬まず・人と争わず」
母は、わたしが幼い頃から「人を恨まず・人を妬まず・人と争わず」と言って聞かせてくれました。口グセですね、いつも何かにつけて言っていましたよ。
だから尋常小学校に上がってから、友だちとけんかをしたことがありません。奉公に出ていたときも、理容の修業中も人と争ったことはありません。争わないから、人から恨まれたことはなかったですし、恨んだこともありません。
恨みの種は争いから作られます。母の口グセが身に染みていたから、今のわたしがあるのだと思います。「三ず」……母は本当にいい言葉をくれました。
人に嫌がらせをすれば、いつか自分に返ってくる
何十年も前のことですけど、「理容 ハコイシ」から2キロほど離れたところに床屋さんがありましてね。そこの店主はわたしと同世代の女性でした。お客さんがそのお店を通り越してうちに来るのが気に入らなくて、いろいろとね、しつこく嫌がらせをされました。
わたしはじっと耐えて、何も言わず何もしませんでした。
そうすると、やがてその方は埼玉に引っ越して、そこで病気になって亡くなったそうです。「人を妬んで、争いを仕掛けた結果」ではないかな、と思いました。わたしにだけでなく、何ごとにもそのような生き方をしていたんじゃないでしょうか。
「シツイさん」から「息子たちへ」
「ひるまず・うらやましがらず・あらそわず」
ですから、わたしも息子が小学生になる頃から、2人の子どもに「三ず」を言い聞かせるようになりました。わたしの「三ず」は「ひるまず・うらやましがらず・あらそわず」。母のと少し違いますね。
一のず 「ひるまず」
「ひるまず」は、わたしの経験から「勇気を持つことが道を切り拓く」と思ったからです。右も左もわからない東京へとひとりで上京するのも、修業も、お店を替わるのも、結婚も、勇気を振りしぼって行動しました。子どもたちにも、何ごとにも勇気を持って、前向きに挑戦できる人になってほしかったんです。
ニのず 「うらやましがらず」
「うらやましがらず」は、自分で努力して、自分だけができることを身につけてほしいという気持ちから。世の中にはいろいろな人がいますからね。いいものを持っている人、自分ができないことをやれる人……。いちいちうらやましがっていても卑屈になるだけで、何も始まりませんのでね。
三のず 「あらそわず」
「争わず」は、友だちとけんかをしないでほしかったからです。うちは客商売の理髪店ですから、「お客さんあっての我が家」ですし、争ってわだかまりを残すことほど馬鹿馬鹿しいことはありません。今、わたしが平和に暮らしていられるのは、誰とも争わなかったからですし、仕掛けられてそれに乗ってしまえば、お互いが傷つくだけとなってしまいますしね。
とはいえ、言って聞かせるだけでは説得力がありませんから、わたし自身がそのように生きて、背中を見せなくてはなりません。そして「お母ちゃんのように生きていけばいいんだな」と、子どもにわかってもらうことが大事だと思っていました。
だから、言って聞かせるのもそれなりの覚悟がいりましたけれど、「ひるまず・うらやましがらず・あらそわず」は、108歳の今でもわたしが日頃から心がけていることです。老年の域に入っている娘も息子も、その言葉どおりに生きてくれていると思っています。
本記事は『108歳の現役理容師おばあちゃん ごきげん暮らしの知恵袋』(宝島社)からの抜粋です
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人生100年時代を楽しく生きるヒントが詰まった一冊です。著者は、108歳の現役理容師、箱石シツイさん。12歳で奉公に出て14歳で上京し理容師の修業、長女は0歳で重度の脳性麻痺に、空襲で自宅焼失、夫は終戦4日後に戦死……。本書では、そんな、壮絶人生を乗り越えてきたシツイさんが掲げる人生のモットーや心持ちを紹介。108年の健康を支えてきた日々の体操や、30年間愛飲しているお茶のお話など、長生きの秘訣もお話ししてくださっています。
箱石シツイ(はこいし・しつい)
理容師。1916年( 大正5年)生まれの108歳。理容師生活94年目の2023年、米国のリサーチ会社から世界最高齢の現役理容師に認定される。1953年に「理容 ハコイシ」を開業、70年以上営業を続けている。102歳までひとり暮らしで身の回りのことはすべて自分でこなした。常連のお客さんが来れば今でも店に出る。2021年の東京五輪では息子と二人三脚で聖火ランナーを務めた。2024年11月10日に108歳を迎える。
<撮影/栗栖誠紀 取材・文/石黒謙吾 構成/石黒由紀子>