• 結婚や出産など、人生の大きな節目とともに、さまざまな変化を遂げてきた仕事の在り方。いまも自分のペースで働くミアズブレッド店主の森田三和さんに話を聞きました。
    (『天然生活』2023年3月号掲載)

    自分がイメージする世界をおいしいパンに詰め込んで

    昔ながらのならまちの景観に、すっと溶け込む「ミアズブレッド」。店主の森田三和さんは、毎朝のパンづくりをスタッフに任せるようになったいまも、ここでサンドイッチをつくっています。

    「サンドイッチというのは絵みたいなもので、そのときの野菜の色味によって量を変えたり順番を変えたり、マニュアル通りにはいかないんですよね。毎日絵具の色が違うというように。だから、私がつくりたくなっちゃうんです」

    画像: ならまちの3階建てに拠点を移し、新たなスタートをきった森田三和さん。手描きボードや古道具、パンの香りが道行く人を誘う

    ならまちの3階建てに拠点を移し、新たなスタートをきった森田三和さん。手描きボードや古道具、パンの香りが道行く人を誘う

    森田さんがパンを焼き始めたのは高校生のころ。家にオーブンがやってきてからです。

    「家族で食べるパンを、母と交替で焼いていました。空想をしたりイラストを描くのが好きで芸大を目指していたんですが、絵を描くこととパンをつくることがリンクして。発酵するとか形が変わるとか、工程も面白いなって」

    当時はまだ家でパンを焼くことが珍しかった時代。デザインや絵画の技法を本から学ぶことが多かった森田さんは、パンのつくり方もレシピ本や洋書から習得し、自分好みにアレンジしていきました。

    芸大に入ってからも、「煮詰まったときにおいしいパンを食べると、アイデアがパーンとわいてきて」と、創作と並行するようにパンづくりに熱中。

    友人に配るうち、その味が評判を呼び、やがて「材料費を渡すのでつくってほしい」と声がかかるように。社会人になるころには、パンづくりはすっかりライフワークになっていました。

    口コミで広まった森田さんのパン。手づくりのやさしい味わいにファンは増え、会社勤めをしながらパンを焼く日々が続きます。

    画像: トーストサンドイッチのオーダーが入り、厨房で手早くパンを炙る森田さん。「表面だけ網でさっと焼くと、水分が抜けきらないで中がしっとりするんです」

    トーストサンドイッチのオーダーが入り、厨房で手早くパンを炙る森田さん。「表面だけ網でさっと焼くと、水分が抜けきらないで中がしっとりするんです」

    「でもまだパン屋をする気はなくて。自分でも“なんちゃってパン屋さん”なんていっていました」

    そんな森田さんがパンの仕事を真剣に考えるようになったのは、ふたり目の子の産休中。父親の会社の経営難に直面したときでした。

    「スイッチが入ったというか、覚悟を決めたというか。続けたくても続けられない父を見て悔しくて。私にはニーズがあるんだから、ちゃんと向き合おうと思ったんです」

    結婚後に暮らした奈良市佐紀町の自宅の敷地に「ミアズブレッド」の看板を掲げたのは34歳のとき。

    ほどなく、野菜たっぷりの色彩豊かなサンドイッチが脚光を浴び、瞬く間に人気店になります。

    画像: カフェで人気の「アボカドベーコンのトーストサンドイッチ」。網焼きしたパンがほんのり香ばしく、野菜たっぷりで後味は軽やか

    カフェで人気の「アボカドベーコンのトーストサンドイッチ」。網焼きしたパンがほんのり香ばしく、野菜たっぷりで後味は軽やか

    気づけばオーブンは6台に増え、カフェも新設し、夫も巻き込みながらのパンづくりが、来る日も来る日も続くことに。

    森田さんはここでの20年間のことを「中身の濃い日々すぎて、映画のなかの出来事のよう」と振り返ります。

    画像: 2階と3階はカフェスペースに。若草山が望めるテラス席も

    2階と3階はカフェスペースに。若草山が望めるテラス席も

    「すごく楽しかったけれどすごく大変でした。業務用ではなく我流のつくり方だったので、すべて小さい単位でつくっていて。時間差で数台のこね機を回して、発酵機もなかったから保存容器に入れて薪ストーブで発酵させて。毎朝2時からつくっていた。でもあのころは全然平気でした。焼くのは好きだし、いいにおいはするし、メニューもいろいろ変えて飽きることなんてなかった。なにより、私の頭のなかからぽこぽこ生まれてくるパンをどんどん食べてくれるって、すごいことだなって」

    画像: パンとともに手渡す月替わりのニュース&カレンダー。手描きのイラストやエッセイなど森田さんの世界観があふれる

    パンとともに手渡す月替わりのニュース&カレンダー。手描きのイラストやエッセイなど森田さんの世界観があふれる

    この店を続けてきたから、楽しみを広げていける

    年齢を重ねたいま、地元ならまちで以前よりもゆとりをもってパンと向き合っている森田さん。それは50代に入り体力の限界を感じ始めたころ、「思いがけず」夫と別の道を歩くことになって模索した、新たなステージでもあります。

    「オーブンもこね機も大型を入れ、スタッフにレシピを伝え、皆でミアズの世界観をキープできるように会社スタイルにしたんです」

    すると、次にやりたいことのアイデアもいろいろと浮かんでくるようになりました。パッケージのデザイン、文章での発信、オンラインショップの運営……。

    原点に戻った感じ。でも、高校生のときはノートのなかだけでしたが、いまは見てもらえる。この店があるからできることなんです」

    自分が食べたいパンを次々にイメージし、絵を描くようにつくることを楽しみ、どんどん広がるお客さんの笑顔をエンジンに、夢中で走りつづけてきた森田さん。

    仕事という名の表現の旅は、まだまだこれからも続きそうです。


    <撮影/伊藤 信 取材・文/山形恭子>

    森田三和(もりた・みわ)
    奈良のならまちで育つ。大阪芸術大学デザイン学科卒。学生時代からパンを焼き始め、1997年に奈良市佐紀町にて「ミアズブレッド」をオープン。野菜が主役のサンドイッチが名物に。2017年にならまちに移転。1男1女の母。著書に『ミアズブレッドのパンとサンドイッチ』(扶桑社)、『サンドイッチブルース』(ループ舎)など。

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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