山には山のこけ
その気になれば、身近な場所で楽しめるこけ探し。この連載でも、はじめは街中で出合えるこけや、その魅力からご紹介してきました。しかし種類ごとに必要な環境条件が異なるため、街では見られず、山に行かないと出合えないこけもいます。
草や木が生い茂り、歩くのは舗装されていない土の道。川が流れ、霧が発生し、地形によって湿気が溜まりやすい場所もある。そんな山の中では、コンクリートやアスファルトで覆われている街中と比べて、植物の種類も量も、圧倒的に増えます。
ですから、街でこけが見えるようになってきたら、今度は山にも出かけてみましょう。街中で「こけ目」を養ってから山へ出かけると、こけの豊富さにクラクラします。こっちも、そっちも、あっちにも!!
<※こけ目:ぼーっと歩いていても、ついつい足元のこけに目が留まってしまう現象>
御岳山へ
東京の西に位置する奥多摩エリアには、ハイキング向けの山がたくさんあります。中でも青梅市にある標高929mの御岳山(みたけさん)は都心からアクセスしやすく、ケーブルカーも利用できるので、登山初級者にも親しまれている人気の山です。
今回はこの御岳山の奥にある因縁(いんねん)のこけスポット「ロックガーデン」を目指して御岳山へ。なぜ因縁かというと、何度も行こうとしているのに、その手前にあるこけに夢中になってしまって、いつも時間切れとなって私は一度もたどり着けたことがないのです。
最寄りの御嶽(みたけ)駅までは、JR新宿駅から中央線と青梅線に乗って1時間半ぐらい。週末ですと、途中の青梅駅を過ぎたあたりからザックを背負った乗客が目立つようになり、ハイキング気分が盛り上がってきます。
御嶽駅からは路線バス(西東京バス)に揺られること約10分、御岳山ふもとのバス停「ケーブル下」で下車します。そこから徒歩で登るとなると、上まで1時間ほどの道のり。ケーブルカーを利用すれば、ふもとの滝本駅(標高約407m)から山頂付近の御嶽山駅(標高831m)まで、約6分で上がることができます。
ケーブルカーから降り立つと、そこはベンチや食堂がある広場になっており、晴れた日は展望を楽しみながら過ごすことができます。今回私が訪れた日はあいにくの曇り空、小雨もパラついており、7月なのに半袖では肌寒いくらい。白い霧に包まれた幻想的な世界でした。この広場にもこけスポットがあるのですが、今回は「ロックガーデンを歩く」という目的のため、そそくさと出発です。
広場を起点として御岳山を歩く場合、いく通りかコースがあります。どのコースを選ぶとしても、まずは鳥居をくぐって集落まで進みます。これは武蔵御嶽神社へ続く参道でもあり、舗装された道なので、登山装備のハイカーだけでなく、普段着の参拝客の方もいらっしゃいます。
歩き始めてすぐ、参道の脇で「キヨスミイトゴケ」をみつけました。名前のとおり糸のように細く繊細な姿で、低木の枝から垂れ下がるようにして生えています。沢から湿った空気が上ってくるような場所で見られるこけです。空中の水分をキャッチしやすいように、レースのような体になっているのでしょうか。
参道の先にある集落は「御師集落」といいます。御師(おし)とは、神社や霊山に訪れた参詣者に宿を提供し、祈祷や案内などをおこなう神職です。御岳山の集落では趣のある日本家屋が軒を連ねていますが、それらは御師が営む宿坊です。日帰りで行ける山ではありますが、個人的にはこけが生えたお庭も気になるし、早朝の森歩きもしてみたく、いつかは宿坊に泊まりたいです。
大きな茅葺き屋根でひときわ目を引くのが、歴史的建造物の「馬場家御師住宅」、東京都の指定有形文化財です。前に訪れたとき、その屋根の上にこけや地衣類が生えているのが見えたので、今回も密かに期待していました。
ところが2015年から2018年にかけての建物の改修工事と共に屋根も葺き替えられており、すっかり新しくなった屋根には、こけはいませんでした。環境が変わることもありますから、前いた場所でまた見られるとは限らないのですね。こけも一期一会といいますか、そのときの出合いを大切にしたいものです。
馬場家御師住宅の裏には、いまでも水が染み出している古井戸があります。もう生活用水としては使われておらず、小さな池のようになっているのですが、そこでは「ウキゴケ」という水面に浮くこけが見られます。
茅葺き屋根のこけとは再会できなかったので、ウキゴケもいないかも分からない……と弱気になりつつ向かったところ、こちらは健在でした。しかも特徴的なY字型の形は見間違えることもないですから、「ウキゴケいたー!」と浮かれてしまいました。
集落にはあちこちに古い石垣があって、これが実に見応えたっぷりです。私にとってはもう玉手箱のようなもの。石垣を眺めているだけで、ホクホクしながら1日過ごせます。我ながら安上がりな趣味です。ただ、誰かと一緒に来る場合は、相手も石垣に萌える人でないと申し訳ないですね。
そういえば実際に、集落の石垣にかじりついたまま1日が終わってしまったことがあったのでした。と我に帰り、先を急ぐため、心を鬼にして石垣を後にしました。でも、こうして集落のこけとも、山のこけとも出合えるのが、御岳山の魅力です。
<文/芝生かおり 撮影/吉田智彦 >
芝生かおり(しぼう・かおり)
東京生まれ、横浜市在住。こけを愛する会社員。趣味の登山で山へ通ううちに北八ヶ岳の森でこけと出会い、その多様性と美しさに魅了された。ほかの小さな生き物も気になりだし、地衣類、藻類、菌類、変形菌にも注目している。
吉田智彦(よしだ・ともひこ)
文筆家、写真家、絵描き。自然と旅が大好物で、北米の極北を流れるマッケンジー川やユーコン川をカヤックで下り、スペインのサンティアゴ巡礼路、チベットのカイラス山、日本の熊野古道などの巡礼路を歩く。近年は、山伏修行に参加。東日本大震災後、保養キャンプに参加する福島の母子を撮影し、写真をプレゼントする活動をはじめ、福島の現状と保養キャンプの役割を伝えるため、2018年から写真展『心はいつも子どもたちといっしょ』として各地で展示している。芝生かおりの夫で、ジャゴケと地衣類偏愛者。著書『信念 東浦奈良男〜一万日連続登山への挑戦〜』(山と渓谷社)、『熊野古道巡礼』(東方出版)など。