「たくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度『ありがとう』と言っても足りません」
(2011年12月12日 母の死を受けてマスコミに宛てたコメント)
3年ぶりのグランプリファイナル進出を決めた真央は、カナダ・ケベックシティに到着した。
だが、12月8日、チームリーダーを務める日本スケート連盟の小林芳子フィギュア強化副部長(当時)が発した言葉は、衝撃をもたらした。
「今朝、5時20分ごろ、浅田真央選手のマネージャーから私の携帯に連絡がありまして、真央選手のお母様の病状が急変したということで、急きょ今朝帰国しました」
苦渋の決断であったが、佐藤コーチとともに飛行機に飛び乗り、9日夕方、日本に到着する。
飛行機を降り立った真央を待っていたのは、悲しい知らせだった。
母の匡子さんは、9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で亡くなった。48歳だった。
フィギュアスケートの道に入るきっかけを作った人であり、常に身近なところで支え続けた。真央の最大の理解者であり、最大の応援団であった。
誰もがいつかは向き合わざるを得ない、通り過ぎなければいけない道ではある。そうではあっても、その心情はいかばかりだったか。3日後、真央はコメントを発表した。
「たくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度『ありがとう』と言っても足りません。やるべきことをしっかりやることが、お母さんも喜んでくれることだと思い、今まで通り練習に励みたいと思います」
10日後に大阪・なみはやドームで行われる全日本選手権に出場することを明かした。
<写真/2011年全日本選手権(M.Morita)>
『浅田真央100の言葉』(フジテレビ スポーツ局・編/扶桑社・刊)
浅田真央さんの生誕30年を記念して、2003年から密着取材してきたフジテレビの膨大なアーカイブから、100の言葉を厳選。 幼少時から現在までの写真とともに、波乱万丈の人生とスケートへの想いを彼女自身の「言葉」と歴代ディレクターの回想から詳細に振り返ります。 父と姉から初めて明かされる家族のあたたかなエピソードも!