100種類以上のこけと出合える、福井県の「苔寺」
冬が始まるすこし前に私が訪れたのは福井県勝山市の平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)。白山といえば、富士山、立山と並び、日本の三大霊峰に数えられる、古くから信仰の対象となってきた山です。
その白山の麓で約1300年前に開かれた平泉寺は、白山信仰の越前側の拠点として栄えました。いちどは室町時代におきた一向一揆で全焼してしまいましたが、その後復興を遂げています。そして明治時代に入ると、神仏分離令により白山神社となりました。
こけが美しい名所としては、なんといっても京都の西芳寺が有名ですが、実は平泉寺白山神社も「苔寺」の別名を持つこけスポットなのです。15万㎡もある広大な境内がコケで覆われている景色は圧巻だと聞いていました。
電車で向かう場合は、福井駅から「えちぜん鉄道」に乗車して小一時間で勝山へ、勝山駅からはバスで10分ほどです。
まずは「歴史探遊館まほろば」にお邪魔して、境内の見どころ情報をチェックしました。こちらの施設では平泉寺の歴史や文化から、白山周辺の自然まで、幅広く学べます。
解説員さんに伺ったところ「境内には100種類以上のこけがいる」とのこと。まほろばでいただいた散策用のイラストマップを手に、期待で胸を膨らませつつ神社の入口を目指します。
参道から始まるこけの楽園
東尋坊(とうじんぼう)というのは福井県の海岸にある断崖絶壁の地名だと思っていたのですが、元は僧侶の名前だそうです。その東尋坊さんが暮らしていたという「と乃蔵(とのくら)」という建物に差し掛かると、既にここだけで満足してしまいそうなくらいこけがたっぷり。
いやいや、まだ入り口にも達していないではないか、と気を取り直して進みますが、やはり足元に目が行きます。どこもかしこもこけが豊富なのは、ここが豪雪地帯だからでしょうか。
冬、雪がほとんど降らない太平洋側の町では空気が乾燥しますが、日本海側の豪雪地帯のこけたちは、雪に覆われることで乾燥から守られると聞いたことがあります。鳥居に続く石の階段は、両脇がこけで緑に彩られていました。
気をつけて見ると、階段の右側と左側とでは、生えているこけが違う様子。人間にとってはどちらも同じような場所のように思えてしまうのですが、こけにとっては日当たりなのか、湿度なのか、何かが決定的に違うのでしょう。
国の名勝、旧玄成院庭
階段を上りきってひとつめの鳥居、一の鳥居(いちのとりい)をくぐります。参道に入ってすぐ左手に社務所があったので、ご挨拶しに行きました。社務所の門をくぐってすぐさま目に飛び込んできたのは美しいヒノキゴケの群落でした。
拝観料50円を収めると、枯山水様式の庭園を見学できます。ただし雪の季節は入れないようで、5月から6月あたりに雪がとけてから公開となるようです。
ここは北陸で現存する庭園としては一番古く、室町時代後期の1531年、細川高国による作庭といわれており、「旧玄成院(げんじょういん)庭園」として昭和5年に国の名勝に指定されています。
社務所の脇にある木戸をくぐって庭園に足を踏み入れた途端、思わず声をあげてしまいました。
ヒノキゴケは山を歩いていて見つけることもあるのですが、私がこれまでみつけた群落はせいぜい拳サイズか、大きくても手のひらサイズ。ところがここのお庭のヒノキゴケは、まるで湖の水面のように一面に広がっており、見たことのない規模に驚かされました。
お庭ではヒノキゴケに限らず、ほかの種類のこけも見られました。
大興奮しながら社務所の方に「ここのこけは素晴らしいですね!」と感動を伝えたところ、「あら、まだ上は行かれていないんですかー」と聞き返されました。この先はもっとすごいということらしく、改めてびっくりしながら社務所を後にしました。
平泉寺の名の由来となった神泉
しばらく参道を進んでいくと、左手に御手洗池(みたらしいけ)の標識を見つけ、神泉が湧き出ているという池まで降りてみました。
そのむかし泰澄(たいちょう)という僧が白山に登ろうとして、この池のそばで祈っている時に白山の女神に出会い、お告げを受けて平泉寺を開いた…と伝わっている池です。
参道に戻って二の鳥居(にのとりい)をくぐると、どっしりとした拝殿が構えており、その上には右から別山社(べっさんしゃ)、真ん中に本社、左に越南知社(おおむなちしゃ)が並んでおり、白山三山の神がまつられています。
社(やしろ)が立ち並んでいるだけでも荘厳な景観なのですが、特筆すべきはその下に広がる緑がすべてこけだったということでしょう。まるで雪が降り積もったように、地面も石も切り株も何もかもがこけで覆われている様子に、しばらく立ち尽くしてしまいました。
この素晴らしい景観は、地元平泉寺町平泉寺の村人の皆さんや、ボランティア団体『白山平泉寺サポーターズクラブ』会員の皆さんによる定期的な清掃活動の賜物です。
というのも、こけは光合成する生き物なので、落ち葉や枯れ枝が上にのっているところは育ちません。落ち葉などが落ちていたら、それらを拾ってこけに日が当たるようにしないと、このような景色にはならないのです。
これだけ広い土地で、人の手で落ち葉を拾い集めることがどれだけ大変なことか、想像に難くありません。頭が下がる思いです。
本社付近では、神社仏閣ならではのこけにも出合えました。
微量な銅イオンは植物の成長を助けますが、高濃度の銅は毒になります。しかし、銅を必要としているのか、銅への耐性があってほかの植物が生えない銅スポットを選んで生きているのか……銅との関係性は謎なのですが、銅が含まれる水がしたたり落ちるような場所、お堂などの銅ぶき屋根の軒下で見られるこけがいます。
それがホンモンジゴケ。その名は、はじめて発見された場所が東京の池上本門寺だったことに由来しています。
この奥にもまだまだ気になる場所はありましたが、随所でこけに夢中になってしまったあまり本社へたどり着くだけで4時間かかり、既に薄暗くなってしまったため、それ以上の散策は断念しました。
平泉寺白山神社の境内はたいへん広く、じっくり散策すると2〜3時間かかるそう。そこにこけ観察まで加えたら、とても一日で回れる規模ではありません。
散策マップにある「中世の石畳」や「菩提林」などもおそらくこけスポットに違いないと思いつつ、雪がとけたらいつまた行こうかと、いまから楽しみです。
<文/芝生かおり 撮影/吉田智彦 >
芝生かおり(しぼう・かおり)
東京生まれ、横浜市在住。こけを愛する会社員。趣味の登山で山へ通ううちに北八ヶ岳の森でこけと出会い、その多様性と美しさに魅了された。ほかの小さな生き物も気になりだし、地衣類、藻類、菌類、変形菌にも注目している。
吉田智彦(よしだ・ともひこ)
文筆家、写真家、絵描き。自然と旅が大好物で、北米の極北を流れるマッケンジー川やユーコン川をカヤックで下り、スペインのサンティアゴ巡礼路、チベットのカイラス山、日本の熊野古道などの巡礼路を歩く。近年は、山伏修行に参加。東日本大震災後、保養キャンプに参加する福島の母子を撮影し、写真をプレゼントする活動をはじめ、福島の現状と保養キャンプの役割を伝えるため、2018年から写真展『心はいつも子どもたちといっしょ』として各地で展示している。芝生かおりの夫で、ジャゴケと地衣類偏愛者。著書『信念 東浦奈良男〜一万日連続登山への挑戦〜』(山と渓谷社)、『熊野古道巡礼』(東方出版)など。