こけは育てられる?
こけはちょっと乾燥したぐらいでは死なないし、雪や氷に閉じ込められても生きています。ほかの植物が生えないような場所にいたり、日が照りつける場所にいたり、不死身と思えるしぶとさ。
だからといって、「こけは枯れない」「どこでも生える」「放っておいても育つ」というのは誤り。自然界においてはさまざまな種類のこけが、各々に適した場所で生きていますが、環境がちょっとでも変わってそのこけに適さない状況になれば、そこからいなくなってしまいます。
ましてや、自然界とだいぶ異なるヒトの生活空間で育てるのは難しいこと。「このこけを育てたい」と思って家の中へ招き入れても、元気でいてもらうためには適した湿度をキープしてあげる必要があり、それは容易なことではないのです。
テラリウムとは
湿度をキープする必要があると書きましたが、それを可能にしてくれるのがテラリウム(terrarium)。ガラスなどの透明な容器の中で植物を育てる方法で、いわばミニチュア版の温室です。密閉されているので容器の内部で水分が循環し、頻繁に水やりをしなくても、中の湿度が保たれます。光を通しますから、植物が光合成することができます。
テラリウムの起源は、19世紀に英国人医師のナサニエル・バグショー・ウォード氏が考案したガラス箱。昆虫観察に興味のあったウォード氏が蛹(さなぎ)の入った瓶を放置していたところ、後日瓶の底の腐葉土から植物が発芽していること、そして瓶の中で水分が保たれていることに気づいたことが始まりです。その後、植物の持ち運び方法や栽培方法として発展していきました。
土も植物も容器の中に入っていてこぼれにくいので、枕元やテーブルに配置しやすく、日本でも近年インテリアとして定着し、こけ人気の後押しに一役買っているようです。園芸店やインテリアショップなどの売り場が手に入るほか、ジャムの空き瓶など、身近なガラス容器で自作することもできます。
ただし、こけの種類によってはテラリウム環境での生育に不向きなものもあります。置き場所や管理が悪いと枯れたり、カビが生えてしまったりする場合があり、いくつかのポイントを押さえていないと栽培は難しいと聞いていました。
テラリウム教室に参加
そんなわけで、なかなか自作してみる気になれなかったテラリウムですが、つくり方を教えてくださる講座が開催されていると知り、鎌倉の苔専門店「苔むすび」へお邪魔してきました。
作業台につくと、目の前にずらりと道具の数々が並んでいました。家にある割り箸やスプーンでも代用できそうですが、かなり細かい作業となるので、こうした道具が揃っていると心強いです。
まずはガラス容器の蓋を外し、スプーンで土を入れます。このときに、わざと高低差をつけると景色がつくりやすいですよと、講師の園田さんからのアドバイス。
次に、瓶の中にどのような世界をつくりたいか考えながら、小石を置きます。置く石の大きさや形によって、小さなお庭ができたり、散歩道になったり、はたまた山のように見えたりと、石ひとつとっても奥が深いこと。
さて、ここでテラリウムに入れるこけの登場です。園田さんの経験上、これなら初心者でもテラリウムで育てやすいと分かってきた種類を用意してくれました。
そのまま植え付けるのではなく、まずは1本ずつほぐし、向きや長さを整えます。細かい作業で集中力を求められます。ここをさぼると、出来上がりに差が出ます。
どのこけをどこに植えたいか配置を決めたら、束をピンセットの先端で挟み、植えたい場所へグッと挿しこみます。ここで園田さんから、タマゴケは短めに植えるといいですよ、とのアドバイス。
最後に飾りの色砂をそっと置くように入れて、ついに完成! これはさながら、持ち歩ける「小さな森」です。こうして見ると小石が大岩に、こけが木々に思えてくるから不思議。自分がその中に佇んで深呼吸している様を想像すると、とても幸せな気持ちに。
長く楽しむために
せっかく手に入れた瓶の中の小さな森、末長く大切に育てたいものです。園田さんからコツを教わりました。
・直射日光が当たると容器の中が高温になるので、置き場所は窓際よりも部屋の中の方へ。
・暗すぎては育ちません。目安としては、読書できるくらいの明るさがよいそうです。
・普段は蓋を閉めたままにしておきます。
・土はカラカラでも、ぐっしょりでもだめ。適度な湿り気になるよう様子を見ながら、最初は2~3週間に一度ぐらいのペースで水やりします。
それでも茶色くなってきた葉っぱは、ハサミで切り取ってOK。伸びすぎてしまった場合もカットします。切り取ったコケは、ピンセットで挿せば、またそこから育つそうです。
苔むすび
今回テラリウムづくりを指導してくださった園田さんは、私の苔友さんのひとりです。出会いは10年ほど前のこと、北八ヶ岳の森で開催されたこけ観察会でご一緒したのが最初でした。
北八ヶ岳でお会いした当時は研究者として、こけとは関係無い分野のメーカーに勤めていらした園田さん。趣味で参加されたこけ観察会を通じてこけの新たな魅力に気づき、こけワールドにのめり込んでいきます。
そこは私と同じですが、園田さんがすごいのは、どうしたらこけが育つのだろうと毎日のように研究されてきた点。そしてこけの育成に成功するようになり、ついには独立して苔専門店をオープンされました。
「苔むすび」にやって来る人はこけ目当てとは限らず、観光中にたまたま通りかかった方が立ち寄ることも。こけと知らずにテラリウムを手に取る方も。でも、テラリウムを通してこけに親しんでもらう入り口になればと、そしてさらには鎌倉の新たな観光資源としてこけを全面に出していきたいと、こけの魅力を発信し続けています。
あちこち出歩いて、行った先々でこけと出合うのが大好きな私ですが、日々の暮らしの中で、視界に入るところに緑のこけがあると、ホッと癒されます。今回つくったテラリウムは宝物になりました。限られた空間の中でどんな景色をつくるかは自分次第。機会があれば是非、作るところから挑戦してみてください。
<文/芝生かおり 撮影/吉田智彦 >
芝生かおり(しぼう・かおり)
東京生まれ、東京育ち。会社員時代に趣味の登山で山へ通ううちに北八ヶ岳の森でこけと出会い、その多様性と美しさに魅了された。ほかの小さな生き物も気になりだし、地衣類、藻類、菌類、変形菌にも注目している。2021年の春からは、本連載の写真担当である夫と北陸へ
移住し、古民家を改修しながら里山暮らしを送っている。
吉田智彦(よしだ・ともひこ)
文筆家、写真家、絵描き。自然と旅が大好物で、北米の極北を流れるマッケンジー川やユーコン川をカヤックで下り、スペインのサンティアゴ巡礼路、チベットのカイラス山、日本の熊野古道などの巡礼路を歩く。近年は、山伏修行に参加。東日本大震災後、保養キャンプに参加する福島の母子を撮影し、写真をプレゼントする活動をはじめ、福島の現状と保養キャンプの役割を伝えるため、2018年から写真展『心はいつも子どもたちといっしょ』として各地で展示している。ジャゴケと地衣類偏愛者。著書『信念 東浦奈良男〜一万日連続登山への挑戦〜』(山と渓谷社)、『熊野古道巡礼』(東方出版)など。