本当に生まれてしまったんだ。どうしようどうしよう
2021年4月1日 誰にも嘘をつかなかった日
4月1日という嘘みたいな日に、エミューちゃんは生まれた。
エミューちゃんが生まれた瞬間のことは忘れられない。
生まれたばかりのエミューちゃんを見つめていた時間は、時計で換算すればほんの十数分だったのかもしれないけれど、永遠と思えるくらい長かった。
そして、すべてが啓示のようだった。
春の日特有の粒子が肌を撫でるような湿度を帯びた空気も、その空気の中でしっとりと乱反射する白い光も、灰のように落ちる光の中で小さく弱く濡れて、空間すべてを震わせるように強く鋭く鳴いていたエミューちゃんの姿も、すべてが私に告げていた。
「人生にこの子と過ごすよりも大切なことなんて存在しない」
怒涛の実感がおしよせていた。エミューちゃんの熱が、ぼんやりと生きてきた私のぼんやりとした体を震わせていたのだった。
「本当に生まれてしまったんだ。どうしようどうしよう」
保温箱の外でエミューちゃんが寒い思いをしないよう、電気毛布を買いにホームセンターまで車を走らせる道すがら、私はうろたえた。
エミューの卵がうちに届いてから2ヶ月。
毎日エミューの飼育法については調べていたし、身の丈に合わない英語の論文を読んで内容のむずかしさに発狂したり、牧場やら動物病院やらに突然電話をし不審がられたりと、自分なりにやる気をもってエミューを飼うことに向けて準備を進めてきたつもりだった。
でも、実際に生まれてみると、生まれる前にしていた予想も決意も、全て頭の中で空回りしていただけのたわごとにすぎないことがよくわかった。
例えば、飼育環境。
生まれたての雛は自分の体の熱を保つことができず、体温に近い気温に保たれた環境の中でしか生きられない。だから、生まれてから1ヶ月程度はセンサーつきの保温箱にいれて温度管理をするものだとされていて、当然保温箱は用意していた。
でも、実際には、エミューちゃんを保温箱の外に出さなければいけないときがかなりあり、そして、保温箱の外に出すやいなや、エミューちゃんはふるふると体を震わせた。エアコンの設定は30度。それでも、肌寒い山の春では、部屋の室温は23度くらいにしかならなかった。
「すみません、電気毛布ありませんか」
「季節商品なのでもう売ってないですねー」
「ストーブもないですか。タイマーついてないやつです」
「なおさらないですね」
そうですよね……。
それくらいのことも予期できない頭の悪い飼い主のもとに生まれてきてしまった理不尽を、エミューちゃんは噛み締めているだろうか。
私が住んでいる山には店があまりないため、高速道路でまっすぐ走らない軽自動車のアクセルを思いっきり踏んで(※1)、大きな街の電気屋にかけこんで、ようやく暖房と電気毛布を見つけることができた。帰りの高速道路は夕暮れで、なにもかもが橙色に染まっていて、私の足は少し震えていた。
「ピィーッ!!!! ピィーッ!!!!!」
家に戻ると、エミューちゃんは世界の全てにクレームを投げつけるかのような声で鳴いていた。エミューの親は、子が生まれるまでの2ヶ月間何も食べずに卵を温め続け、生まれたばかりの雛から離れない(※2)。
エミュー界の常識からすれば、私は生まれた瞬間から我が子を育児放棄してどこかに遊びにいってしまった最悪の親なのだった。
エミューの育児は、通常オスが行う。メスは卵を産むだけで、育児には関与しないのがふつうだ。
「これだから女は……」
どこからともなく、エミューのオスたちからの批判の声が聞こえる。
「所詮女は無責任な生き物」
「2ヶ月間メシ抜きで卵を温めるとこからやり直せ」
「卵を産むだけ産んでスッキリして後はほったらかし、女っていいご身分ですね」
ヒッ……!! 大変申し訳ありません……。
生き物を育てるという営みは、多かれ少なかれ、人間に都合のいい暮らし方を動物におしつけることと無縁ではいられない。
「飼育環境のほうが長生きする」とか「野生環境ではここまで繁栄できない」とかの言い分はあるかもしれないけれど、動物側から「飼ってくれ」と頼まれたわけではない以上、人のエゴで愛でて飼っているだけだ。
エミューちゃんの鳴き声はやまない。
私は、保温箱の中にそっと手を伸ばし、エミューちゃんの体をなでる。
エミューちゃんは「間違っていた世界がやっとあるべき姿に戻った」とでもいうような顔で、そっと体を手のひらに委ねた。
〈撮影/仁科勝介(かつお)〉
砂漠(さばく)
東京生まれ東京育ちの山奥に住むOL。現代社会に疲れた人々が、野生の生活や異文化に触れることで現実逃避をする会を不定期で開催。ユーラシア大陸文化が好き。現在はエミュー育てに奮闘中。Twitter:@eli_elilema
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