• 支え合い、認め合う大切なつながり。少数も大勢も、世代も血縁も、飛び超えて、新しい社会で自由に変容していく多様な家族の形。群言堂の松場登美さんに、家族の物語を聞きました。
    (『天然生活』2021年9月号掲載)

    互いの成長を喜び合える別居婚のすすめ
    家族構成:夫、妻

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです

    世界遺産として名高い石見銀山のある島根県大田市大森町。ここで、「石見銀山 群言堂」のデザイナー、古民家宿のオーナーとして活躍する松場登美さんは、20年ほど前から夫の大吉さんと別居婚をしています。

    きっかけは武家屋敷「阿部家」を買い取り、宿泊業を始めるため、「阿部家」での暮らしをスタートさせたことでした。

    画像: 三女家族と夫と。写真左側の母屋に三女家族が暮らし、隣の一軒家に大吉さんがひとりで暮らす。「最初は母屋に夫が住み、三女家族のために母屋の隣の古民家を改修しましたが、三女の子どもが増えたので家を交換しました。三女の子どもは2歳から11歳までの5人。家同士が扉1枚でつながっているので夫は大変だと思いますよ」

    三女家族と夫と。写真左側の母屋に三女家族が暮らし、隣の一軒家に大吉さんがひとりで暮らす。「最初は母屋に夫が住み、三女家族のために母屋の隣の古民家を改修しましたが、三女の子どもが増えたので家を交換しました。三女の子どもは2歳から11歳までの5人。家同士が扉1枚でつながっているので夫は大変だと思いますよ」

    「持続可能な暮らしを次世代に伝える理想の生活を実現したかったんです。私の希望を夫は快く聞き入れてくれましたが、別々に暮らすことに後ろめたさもありました。そんなとき、五木寛之さんの『林住期』(幻冬舎)を読み、モヤモヤが払拭されたんです」

    50歳から75歳までの「林住期」こそが人生のクライマックスという言葉に勇気づけられたのだとか。

    別々の暮らしを通じてお互いに成長しあう

    現在は、町内の小さな古民家に暮らす登美さん。別居といっても毎日職場で会い、住まいも自転車で30秒。登美さんいわく「愛の冷めない距離」は、大吉さんによると「これ以上愛が冷めない距離」

    「若いころと年齢を重ねてからの仲よしは違うんですよね。見つめ合うのではなく、同じ方向を向きお互いにやりたいことに挑戦しながら、成長できたらいいな、と」

    これまで以上に仕事に精を出し、趣味の時間も充実させている登美さん。一方の大吉さんも、得意料理を孫たちやスタッフに振る舞うなど、台所に立つことが楽しくて仕方ないといいます。

    画像: アヒージョをつくる大吉さん。えび、ブロッコリー、アスパラガス、ホワイトマッシュルームと具だくさん。撮影/渡邉英守

    アヒージョをつくる大吉さん。えび、ブロッコリー、アスパラガス、ホワイトマッシュルームと具だくさん。撮影/渡邉英守

    「夫の家にはかまどがあるので、来客時には孫がごはんを炊き、夫が料理の腕をふるっています。同居時はよかれと思って私が料理をしていましたが、彼の可能性にふたをしていたのかもしれません」

    出会ったころからライバルのようだったふたりは、これからも刺激を受け合いながらともに歩んでいくのでしょう。

    いま、家族として思うこと

    50代前半から、夫の大吉さんと別居婚という道を選んだ登美さん。距離を置いたことで生まれた思いとは?

    別居後に夫に対して思うことは、ただ感謝のひと言です。忙しくて自分の時間が少ない生活をしてきましたが、いまはやりたいことをやる自由を与えてもらっています。いままで知らなかったことを知る喜びは、ほかの何にも勝りますね。

    画像: 近所にたくさん咲いている野の花を摘んで、洗面所に活ける登美さん。「縁側にも活けて、通りを歩く人に楽しんでもらいます」。撮影/渡邉英守

    近所にたくさん咲いている野の花を摘んで、洗面所に活ける登美さん。「縁側にも活けて、通りを歩く人に楽しんでもらいます」。撮影/渡邉英守

    この町に来た当初は窮屈に感じたこともありましたが、私たちが仲よし別居できるのも、ここに根を下ろしたからこそ。地域のみなさんにも見守っていただけるのも、ありがたいです。

    夫とは知り合ったときからずっと同士のような関係です。いまも孫たちの世代が暮らしやすい持続可能な町づくりという共通の課題に、ともに取り組んでいます。自分で選んだ道だから、覚悟して楽しまないともったいない。

    これからも周りに感謝しながら、自分らしく生きていきたいです。

    家族の思い出

    結婚して47年になる登美さんと大吉さん。ともに仕事をしながら、3人の娘を育てあげました。

    生まれたばかりの長女をつれて

    画像: 生まれたばかりの長女をつれて

    結婚当初は愛知県・名古屋市で暮らしていた。この日はベビーカーに長女をのせて東山動物園に。

    「4歳年下の大吉さんと結婚したとき、彼はまだ学生でした。写真もほとんど撮っていなくて、結婚式でさえ写真屋さんが撮ってくれたもののみ。写真の大吉さんはまだ22歳くらい、私も若かったですね」

    夫の故郷に店をオープンしたころ

    画像: 夫の故郷に店をオープンしたころ

    1981年から、家族そろって大吉さんの生まれ故郷である、島根県大田市大森町で暮らすことになった。大吉さんの実家である松場呉服店の向かいの古民家を改修し、店をオープンしたころ。

    「店の前ですね。仕事も子育ても、どちらも忙しいころでしたが、とても楽しかったですね」

    松場登美さん家族の年表

    1974年(登美さん25歳、大吉さん21歳)結婚
    1975年(26歳)長女誕生
    1978年(28歳)次女誕生
    1979年(29歳)名古屋で群言堂の前身である手づくりショップ「BURA HOUSE」を立ち上げる
    1981年(31歳)大吉さんの故郷・島根県大田市大森町に帰郷
    1984年(34歳)三女誕生
    1989年(39歳)町内に「BURA HOUSE」の店舗をオープン
    1990~1996年頃 長女と次女は高校から、三女は中学から、進学のため家を離れる
    2002年(53歳)改修をしていた町内の武家屋敷「阿部家(現:暮らす宿「他郷阿部家」)」へ単身で引っ越し、大吉さんと町内別居生活をスタート
    画像: 家族の一員だった猫のキムチと犬のゲン

    家族の一員だった猫のキムチと犬のゲン

    2015年頃~旅館を改修した社員(女子)寮に約2年住み、その後、現在の家に修復しながら暮らす。大吉さんは、現在も三女家族が住む母家の隣の家で暮らしている
    画像: 材料選びからこだわっている大吉さん作のアヒージョ

    材料選びからこだわっている大吉さん作のアヒージョ



    松場登美(まつば・とみ) 
    1949年三重県生まれ。1994年に立ち上げた「群言堂」ではデザイナーとして体にやさしい服を提案。古民家宿のオーナーも。2011年株式会社石見銀山生活文化研究所の代表取締役に。著書に『なかよし別居のすすめ』(小学館)など。

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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