• 服飾作家として、日常を心地よく過ごせる手づくり服や小物をさまざまに提案している美濃羽まゆみさん。美濃羽さんが服づくりを始めたきっかけと、美濃羽さんの子ども服ブランド「FU-KO Basics.(フーコ ベーシック)」が誕生するまでのお話を教えていただきました。

    美濃羽まゆみさんが服づくりを始めたきっかけ

    前回は、私自身がこれまでどんな装いを歩んできたかを振り返ってみました。

    今回は、私が服づくりをスタートさせたきっかけと、子ども服のブランドが誕生する経緯をお話したいと思います。

    ▼前回の記事はこちら▼

    家庭科2の私が服飾作家に!?

    前回お話したように、中学生のころから限られた予算のなかで大胆な挑戦をしたり、リメイクして自己満足したりとファッションにこだわりを持っていた私。

    けれど、学生時代は一から洋服をつくるというアイデアを実現させたことはありませんでした。

    というのも、はじめての服づくりといえば高校生のときの家庭科の授業。それは週一回の授業で半年ほどかけて採寸からパターンを起こし、裁断、縫製をして一枚の洋服を完成させるというものでした。

    しかし、そのお題はなんとタイトスカート! (そのころからパンツスタイルばかりで、スカートはとっても苦手でした)

    気の進まない課題にモチベーションは全然上がらず、つくっている最中もどうも楽しくない

    授業の最後にはどうにか着られる状態の物は完成しましたが、その評価は散々だったと記憶しています。

    その後、いまの仕事を始めて当時の先生にお会いしたことがあるのですが、「あの(評価のひどかった)あなたが!?」と先生が驚きを隠されなかったことには思わず苦笑い。

    それほどに、かつては洋服を一から手づくりすることに抵抗感があったのです。

    「ないならつくってみよう」がきっかけに

    それがなぜ「つくってみよう!」に変わったのかというと、27歳で娘を出産したことがきっかけでした。

    産後、体調にトラブルがあったことや、娘がまとまった時間寝ない、離乳食がまったく進まないなど、悩み多き日々を過ごしていました。

    結婚を機に引っ越してきた地域だったので近くに友人もおらず親も頼れず、初めての育児にほとほと疲れ果てていた時期。

    そんななか、絵を描いたり、アクセサリーやスタイなどの布小物を娘が寝ているほんのわずかな隙につくり上げたり、何かを無心につくる時間だけが癒しでした。

    終わりの見えない育児の大変さを、短い時間でも何かに夢中になることで紛らわせていたのだと思います。

    また、娘は標準より細身で成長もゆっくり。とはいえ内面の発達は標準だったので、1歳を過ぎて歩いたりしゃべり始めるようになっても、まだ60や70の新生児サイズを着ていました。

    ずいぶんと子どもらしくなってきたのに、着せてあげられる服はいわゆる「つなぎ」や「ショルダースナップ」のような赤ちゃんらしいデザインのものばかり。

    小さなサイズでもきちんとしたデザインの服はないだろうかといろいろと探し回りましたが、だいたいが100サイズからだったのです。

    唯一、ヨーロッパの高級子ども服ブランドに70サイズを見つけましたが、小さなベスト一枚で大人のワンピースが十分買えるほどのいいお値段。

    悩んだ末に「ならば、つくってみたらどうだろう」と思いついたのが、ちょうど今の町家に引っ越してきた16年前のことでした。

    子ども服づくりが開いてくれた扉

    最初は見よう見まねでベストやまっすぐ縫いのスカートなどをつくってみました。

    当時はベビー服の洋裁本もほとんどなかったので、型紙は娘の体に新聞紙をあててこしらえた自作のもの。それでも夜なべしてつくり上げたそれらの服を、娘は思いのほか気に入ってくれました。

    いまでもはっきり覚えています。私がつくった拙い手づくり服を着てひらひらとうれしそうに踊る娘。その瞳が、きらきらと輝いて見えたこと。

    娘の育てにくさに悩んだことや、思い通りにならない子育ての辛さが、その瞬間ほどけるように溶けていきました。

    それからは子ども服づくりにとりつかれるように没頭していきました。

    手芸屋さんで1mのはぎれを買ってきて、娘の服を一枚つくる。すると余ったはぎれでもう一枚つくることができました。そこでピンときたのが「これを販売したらどうだろう?」ということ。

    実はそのころは、ちょうど私と同時期に出産した友人たちが復職していく時期と重なっていました。

    私もそろそろ社会に戻りたい……。けれど、この子ともう少し一緒にいる時間もまた大切にしたい。そんなジレンマを抱えていたころ。

    「そうだ! 手づくり子ども服を仕事にすれば、それがすべて解消されるかもしれない!」そう気づいたとき、真っ暗闇だったトンネルのなかで、急に目の前に明るい扉が開いたかのようなうれしさが込み上げてきたのです。

    画像: 一緒に生地屋さんに出向き、好みの生地で服を仕立ててあげるとすごく喜んでくれたゴン(娘)。今でもそのころのはぎれで小物をつくると「この生地覚えてる!」とうれしそうです。ちなみに「こえ」はゴン語で「これ」のこと。

    一緒に生地屋さんに出向き、好みの生地で服を仕立ててあげるとすごく喜んでくれたゴン(娘)。今でもそのころのはぎれで小物をつくると「この生地覚えてる!」とうれしそうです。ちなみに「こえ」はゴン語で「これ」のこと。

    SNSのスタートとブランド誕生

    それからはもう、寝る間も食べる間も惜しみ、猛烈にデザインを起こしては作品にし、発表を続けました。

    当時子ども服を販売していたのはオークションサイトだったので(当時まだハンドメイドサイトは一般的ではありませんでした)、販売後、しばらくするとページは消えてしまいます。

    そのため、ファンの方にブランドのことを知っていただけるよう、ブログやSNSでの発信もスタートさせました。

    やがて娘も3歳になり、念願の保育園にも入園できることになって、本格的にブランドのオンラインショップを立ち上げることに。オークションサイトはそれを機に卒業しました。

    そして、仕上がり品の販売だと数に限りがあり「欲しいのに買えない」というお声も多かったため、公平性を期すために月一回オープンするショップ上で、サイズとカラーを選んでいただいての受注生産をはじめるようになったのです。

    ブランド名は「FU-KO Basics.(フーコ ベーシック)」。

    「FU-KO」は当時娘が気に入っていたぬいぐるみの頭文字。流行を追わないベーシックでシンプルな子ども服づくりを信条にするため、「Basics.」と名付けました。


    ―― 次回はブランドを立ち上げてから現在に至るまでの仕事の変遷を振り返ってみます。お楽しみに!




    〈写真・イラスト・文/美濃羽まゆみ 構成/山形恭子〉

    画像: SNSのスタートとブランド誕生

    美濃羽まゆみ(みのわ・まゆみ)
    服飾作家・手づくり暮らし研究家。京町家で夫、長女ゴン(2007年生まれ)、長男まめぴー(2013年生まれ)、猫2匹と暮らす。細身で肌が敏感な長女に合う服が見つからず、子ども服をつくりはじめたことが服飾作家としてのスタートに。

    現在は洋服制作のほか、メディアへの出演、洋裁学校の講師、ブログやYouTubeでの発信、子どもたちの居場所「くらら庵」の運営参加など、多方面で活躍。著書に『「めんどう」を楽しむ衣食住のレシピノート』(主婦と生活社)amazonで見る 、『FU-KO basics. 感じのいい、大人服』(日本ヴォーグ社)amazonで見る など。

    ブログ:https://fukohm.exblog.jp/
    インスタグラム:@minowa_mayumi
    voicy:FU-KOなまいにちラジオ



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