美濃羽まゆみさんのおしゃれ奮闘記
みなさん、どんな装いが好きですか?
今回からしばらく、「私の装い、マイルール」をテーマにお話をしてみようと思います。
子ども服づくりのこと、現在の子どもたちの服選びのこと、そして40歳を過ぎてからの、いまのワードローブについてなどなど……。
まずは、私自身がこれまでどんな装いを歩んできたか、振り返ってみたいと思います。
GOGO偏愛ファッション!?
わたしは1980年昭和生まれ。おしゃれが好きだった母と16歳ちがいの姉に囲まれて育ちました。
子どものころは、何かあるごとにいっしょにデパートに行き、新しい服を選んでもらっていましたが、ふたりの長すぎる買い物に辟易して、お店のワゴンの下に潜り込んだり、試着室でかくれんぼをしたりしては、大人たちを困らせていた記憶があります。
けれど、そのふたりのDNAを受け継いでか、私も中学生になるころから洋服選びが大好きに。
中高は制服のある学校に通っていたため、おしゃれができるのは休日のみでしたが、限られた予算で、いかに素敵で私らしいおしゃれができるか(学生時代はワンシーズンごとに洋服代として決まった額をもらっていました)、頭をひねるのも楽しいものでした。
とはいえ、当時はいまのようにファストファッションも海外通販も身近ではなく、半年に1万円ほどの予算でそろえられるのは、せいぜい大型スーパーのセールになった婦人服コーナーや古着ぐらいのもの。
頭のなかに理想の服は浮かんでいるのに、ぴったりの市販品がないことに業を煮やし、あげくはメンズをリメイクして着たこともありました。
ほかにも、当時チビTという体にフィットするサイズ感のカットソーが流行っていたのですが、リアルにキッズサイズのものを着てみたり。はたまたセール品のショッキングピンクのカーディガンを、家庭用染料を使って自分好みのニュアンスグレーに染め直してみたり。
シンプルなコットンブラウスのプラスティックボタンを貝ボタンに付け替えただけで、ぐっと高級な印象に変わったのもうれしかったなあ。
決して流行のファッションではなかったけれど、少しでも自分の理想に近づけたことが、とても楽しかった思い出があります。
「追い求めるもの」から「つくるもの」へ
そんな私も27歳で母になり、服選びが一変。走り回る子どもを追いかけ、食事の世話をして家事に追われるようになってからは、おしゃれというよりは服は「道具」のひとつとなりました。
いかに動きやすくて汚れが目立たず、汚れても洗濯機ですぐ落ちるかどうかが、服選びの基準になっていったのです。
だから年じゅうトップスは綿のカットソー、ボトムはチノパンツかジーンズという具合。なかでもカットソーは当時好きだったボーダーばかりで、新しく服を買たびに、夫から「またしましま買ったの」とあきれられていましたっけ。
それが、長女ゴンが保育園の一時保育に預けられるようになったころ、当時ゴンのための服づくりがきっかけでスタートしていた洋裁の仕事が軌道にのりはじめました。
追って詳しくお話しますが、当時、体の小さかったゴンに合う服がなかなか見つからず、自分で手づくりするようになり、少しずつオリジナルの子ども服を販売するようになっていたのです。
ゴンが3歳になって本入園するころには、ちょっとずつ時間にも気持ちにもゆとりが生まれ、自分自身の身なりにも気を配れるように。
そして仕事でも、ありがたいことにリピーターさんが増えるにつれ「私(大人)もこのデザインの服を着たい」というリクエストをいただくようにもなり、子ども服づくりで得たノウハウをもとに、だんだんと大人服もつくるようになっていきました。
まずは試作布で仮縫いをして、実際に自分で着てみてはほどき、納得がいくデザインができたら本番布で縫う。そして次に、今度は生活のなかで着ながら「ここはもっとこうしたほうがいいな」と縫い方やシルエットなどをブラッシュアップさせていく……。
それがもう、楽しくて楽しくて! 新しいデザインが頭に浮かぶたび、「こうやって縫おうか」「このデザインにはこの生地が映えるだろうな」などワクワクしました。
そのうちに、クローゼットの中身にも変化が現れはじめました。かつてボーダーばかり、似たようなボトムスばかりでパッとしなかったワードローブが、少しずつ手づくり服に置き換わっていくうちに、どんどんとその枚数が減りだしたのです。
ワードローブが厳選されていった理由
一時期はなんと200枚以上、クローゼットの中身はパンパンでした。なのに、どれもひとつかふたつ気に入らないところがあり、胸を張ってお出かけに着ていける服は一枚もないという矛盾……。
それは、いま思えば服選びのとき「妥協」して選んでいたからかもしれません。
たとえば丈感、色、素材、肌触り。「かわいい!」と思って手に取ったのに、着ていくうちにどこか気に入らないところが出てくるのです。
お気に入りの一枚を求めて、また新たな洋服が欲しくなるという悪循環に陥り、さらに、購入するほどに一枚一枚に予算がかけられなくなって品質に目をつぶることになるため、たとえ気に入っていても消耗が早く、すぐに着られなくなってしまう悲しさもありました。
でも、手づくり服なら私好みのシンプルなデザインで、素材も厳選すれば手入れしながら長く着ることができます。
そして、そんなふうに自分で洋服をハンドメイドするようになってから、買い物がなんだか以前より上手になった気がするのです。
たぶん理由は、自分がつくり手となったことで、「この一枚の洋服にはどれくらい手がかかっているのか」を実感できるようになったから。
だから多少高価であっても、価値があると思える一枚には気持ちよく対価を支払えるようになり、逆に少しでも納得のいかないものには安易に手を出さなくなりました。
こうして、少数精鋭ながら思い入れのあるワードローブが育っていったのです。
最強のコーディネートポイントを発見!
私の好きなシンプル・ベーシックな洋服をおしゃれに見せてくれるのは小物かも! と気づいたのもちょうどこのころです。
そのときどきの気分はバッグや靴下、アクセサリーなど、小物で演出すれば、洋服は主張しすぎないデザインで、しかも、よい素材のものを長く着続けることができる。
たとえば、私の定番服のひとつであるドロップポケットワンピースなら、よそゆきを意識するときにはパールやゴールドのアクセサリーをプラスします。
逆にカジュアルに着こなすときには、木のブローチを鎖骨のあたりにつけて、目線を上にもってくることでスタイルよく見せたり。装いの印象が変わるような小物使いをどんどん試していきました。
重宝したのは、Hacuさんのカラー靴下や、ハンドメイドしたビビッドなカラーのバッグ。友人の真鍮アクセサリー作家、crukさんの真鍮ピアスやバングル。松田紗和さんやseul.さんのマクラメアクセサリーなどは、そのころから今も愛用している小物たちです。
かつて10代のころに安い服をリメイクしたときのワクワク感、「着る服がない!」体験をした20代後半。そして30代の手づくり服から見えてきたこと。どれも私にとって必要な歴史だったのだろうなあ、といまは思います。
―― 次回は子ども服づくりについて、詳しくお話していこうと思います。どうぞお楽しみに!
〈写真・イラスト・文/美濃羽まゆみ 構成/山形恭子〉
美濃羽まゆみ(みのわ・まゆみ)
服飾作家・手づくり暮らし研究家。京町家で夫、長女ゴン(2007年生まれ)、長男まめぴー(2013年生まれ)、猫2匹と暮らす。細身で肌が敏感な長女に合う服が見つからず、子ども服をつくりはじめたことが服飾作家としてのスタートに。
現在は洋服制作のほか、メディアへの出演、洋裁学校の講師、ブログやYouTubeでの発信、子どもたちの居場所「くらら庵」の運営参加など、多方面で活躍。著書に『「めんどう」を楽しむ衣食住のレシピノート』(主婦と生活社)amazonで見る 、『FU-KO basics. 感じのいい、大人服』(日本ヴォーグ社)amazonで見る など。
ブログ:https://fukohm.exblog.jp/
インスタグラム:@minowa_mayumi
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