愛猫が亡くなり、友人がペットロスに。その気持ちにどう向き合う?
少し前に書いたゲームのお友達の家の猫「ココちゃん」が、7月19日のお昼に永遠の眠りにつきました。
連絡があったのは、まず早朝5時。普段なら私は昼近くまで寝ているのですが、その日は、スマートフォンの音を出していたわけでもなかったのに、偶然、彼からのラインの3分後に目が覚めたのです。
目覚める前に見ていた夢は、もう亡くなった祖母の夢でした。祖母が知らせてくれたのかな、と思いラインを読むと、ココちゃんが、ホタテのウェットフードのスープを飲んでくれたといいます。
「おばあちゃんったら、早合点して」
そんなふうに、私は祖母の夢枕を忘れました。
ところが、昼になって、亡くなったとのしらせ。
涙がこぼれるなか、彼と、ココちゃんのご遺体をどうしておけばいいかなどの話をします。その中で、彼が言いました。
「魂って、いつまでいてくれるのかな? 人間と同じ49日とか?」
その声は、もう30歳になった男性とは思えないほど、幼く不安そうな声でした。
私は言います。
「私もね、猫が亡くなったとき、いろんな人に言われたの。もちろん、私をなぐさめようとしてだよ。49日と言う人もいたし、虹の橋で、と言う人もいた」
同時に浮かびます。「泣いていると、猫ちゃんが悲しみますよ」という励ましや、「涙は猫ちゃんの飲み水になるから、いっぱい泣いてくださいね」という声がけ。そのたび、私は不安になってしまったのです。悲しませたくない。泣きやまなきゃ。涙が飲み水に? じゃあ、涙が出なくなったら、あの子が飲むものがなくなっちゃう。
思えば、私はおかしくなっていたのだと思います。
誰の言葉にも揺れ動かされ、亡くなったあとまで、猫の身の上を案じました。
そんなことをぽつぽつ話しながら、私は彼に言いました。
「だからね、自分で決めていいんだと思う。私は、今も一緒にいてくれていると思ってる」
我が家の不思議な猫の話。魂を生き継ぐ?
実は、我が家には不思議な猫がいます。このことは今まで話すことが躊躇われました。
打ち明けると、もう二年ほど前に亡くなった「ヒナ」という黒猫がいるのですが、そのとき、すでに子猫として我が家で暮らしていた「全」という白黒猫が、ヒナが亡くなって以来、ヒナのような性格になったのです。
ちょこちょこついてきて、膝まで両手を伸ばして立つところ。お風呂の後に手を必死で舐めるところ。焼きもちやきで、他の猫をかまっていると、その子の耳を噛んだり、他の子が来ると、わざわざ手で叩こうとするところ。箱にすぐ入る箱王子。
「生まれ変わり」では計算が合いません。そもそも、私は生まれ変わりとか信じるタイプではなく、こうして書きながらも、ばかなことを言っているなあと恥ずかしくなります。
でも、なぜか、そうなんです。
そして、全の存在に、もしかしたら、まだ一緒にいたかったのかもしれないヒナの気持ちが救われる気がして、本当に癒されているのです。
魂とか、この世とか、あの世とか、全部、人間が作ったもの。
自分の心を守るために作ったもの。
だから、猫の命についても、お叱りを受けるかもしれませんが、自分で決めていい、と私は思っています。
「思いが強すぎると成仏できないよ」
この言葉も、とてもこわいです。
でも、成仏という見たこともないものより、私は私のそばで、亡くなった子の魂を愛したいと願っているのです。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」