味覚の変化
「60歳以降は、味覚が変わるんですよ」
そんな言葉を料理を生業にされている方から聞いたことがあります。

その言葉を聞いた時は、あまり実感がありませんでした。
元々、薄味がすきで、ある程度の細かな味の違いがわかっていたからだと思います。ところが、60歳が近づいてくると、その言葉がなんとなくわかるようになりました。
味の許容範囲が、広くなっているのに気づいたのです。
いままで好みではなかった濃い味や甘辛い味を「おいしい」と思うようになったのは、50代半ばを過ぎた頃からでしょうか。自分でも、その変化に驚きました。あの時の言葉はこういうことかと、受け止めました。
それは「老い」の過程のひとつかもしれません。
でも、その時は「かなしい」というより、いい変化のように感じました。
許容範囲が広がるというのは、いままで引いていた境界線がゆるむことです。50代半ばから、以前は、口にしなかった物をいただくようになりました。
それまで訪れたことのないお店へも行くようになりました。インスタント食品も時々、買うようになりました。
そして、どの場面でも、それぞれ「おいしい」と思っているわたしがいます。
おいしいの層は、幾重にも重なるものです。口に入れた瞬間の「おいしい」から、心身がうれしくなるほどの「おいしい」もあります。
どちらも、それぞれの、おいしさがあり、日常は、様々なおいしさが交差する世界で成り立っています。
毎日のなかで、ささやかなよろこびがあることが、年々、大切だと感じます。
そんな時に増えてきた「おいしい」。
もしかすると、一日のなかで一番多く発している言葉は「おいしい」かもしれません。
本記事は、『60歳からあたらしい私」(扶桑社)からの抜粋です。
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“60歳はあたらしいスタートラインを引き直す時”
『天然生活』『天然生活web』で人気のエッセイスト広瀬裕子さんの新刊が発売になります。50歳、55歳と年齢をテーマに執筆してきた著者が、60歳を迎えるまでの日々に考え、選択し、アップロードしている暮らしの知恵を1編ずつ丁寧に書き下ろしました。「抗うことなく、あきらめることなく、自分に合った選択をしていく。気持ちのこと、身体のこと、家族のこと。いままでのことを振り返りながら、60代のために新しいスタートラインを『引き直したい』と思うようになりました」と広瀬さんは語ります。60歳はあたらしいスタートラインととらえ、これからの生活小さな暮らし、グレイヘア、家族の看取りなどをていねいに一編一編綴ったエッセイ集です。
<撮影/加藤新作>
広瀬裕子(ひろせ・ゆうこ)
エッセイスト、設計事務所岡昇平共同代表、other: 代表、空間デザイン・ディレクター。東京、葉山、鎌倉、香川を経て、2023年から再び東京在住。現在は設計事務所の共同代表としてホテルや店舗、レストランなどの空間設計のディレクションにも携わる。近著に『50歳からはじまる、新しい暮らし』『55歳、大人のまんなか』(PHP研究所)他多数。インスタグラム:@yukohirose19