(『天然生活』2024年9月号掲載)
すず竹細工が生まれる鳥越の自然と歴史
岩手県北部、二戸郡一戸町鳥越地区の山間の里で生まれる、しなやかで美しいすず竹細工。
民藝という言葉と概念を提唱した柳宗悦にも絶賛されたこの手仕事がいま、存続の危機にあります。

木漏れ日が美しい裏庭に並べて。持つ人になじむ、シンプルで洗練されたデザイン。手前から奥に)横長マチなし手提げ(A)。お弁当箱(A)。変わり網代口ぼそ苧お桶ぼけ(B)。合わせ手手提げ(A)。A=柴田恵作 B=穴久保ナミ作
この周辺で豊富に採れた材料のスズタケ(竹といっても高さ1~2m、直径1cmにも満たない笹の一種)が2018年ごろから花が咲いて枯れ始め、ほぼ全滅状態になりました。
さらに、再生してすず竹細工の材料として使えるようになるには、20年かかるといわれています。スズタケが120年周期で枯れることは、鳥越の史実でわかってはいたのですが。
さらに、つくり手のほとんどが70歳以上で、地元に若い後継者が育っていないため、スズタケの再生が先か、地元につくり手がいなくなるのが先かという予断を許さない状況です。

スズタケの群生地だった鳥越山。2018年ごろから花が咲いて枯れ始め、無残な姿をさらしている
スズタケを用いたかご類が鳥越で誕生したのは、紀元前2500年ごろの縄文時代であることが最近の研究でわかってきました。
それまでは、平安時代に鳥越観音を開いた慈覚(じかく)大師が、当時流行っていた疫病を抑えるため、肉食を禁じ、代わりにスズタケを編んで糧とするよう教えたのが始まりと言い伝えられてきました。
いまでも地元の人々にとって鳥越観音は大切な心のよりどころです。

鳥越山の中腹にある鳥居をくぐり、つづら折りの山道を登ること20分。山頂付近の切り立った壁をくりぬいた岩屋に祀られる鳥越観音・奥の院

東北新幹線二戸駅から鳥越に向かう道すがら、国道4号線沿いに見える景勝。左が男神(おがみ)岩、右が女神岩
〈撮影/在本彌生 取材・文/堀 惠栄子〉
柴田 恵(しばた・めぐみ)
1958年岩手県二戸郡一戸町鳥越生まれ。30代で竹細工職人を志す。1995年から2010年まで、鳥越もみじ交遊舎において竹細工指導を行う。その後も私塾を開いて後身の指導にあたり、年に数回、展示会で作品を発表。2024年5月、自身についての本『かごを編む 鳥越のすず竹細工とともに、柴田恵』(リトルモア)が刊行された。
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです