• 無条件に愛せるようで、ときに他人以上にやっかいで。それでも大切にしたいと思う、その存在が家族です。作家・岸田奈美さん一家は現在「一家離散中」とのこと。その理由を、詳しく聞きました。岸田家の歴史をたどる年表も紹介します。
    (『天然生活』2024年9月号掲載)

    それぞれの“自立”のための「戦略的一家離散」

    岸田家は現在、一家離散中。

    ウェブで公開した家族にまつわるユーモアあふれる文章がきっかけで、作家となった岸田奈美さん。その家族が、離散?

    「下半身不随で車椅子の母、ダウン症の弟、認知症が進む祖母、そして私。父は若くして亡くなりましたし、この顔ぶれで全員一緒に固まって実家に住んでいたら、もうめちゃくちゃ大変だったんですよ。おばあちゃんボケるわ、そんなばあちゃんとの暮らしで生活ペースが乱されて弟が太るわ……。これはあかんとなり、『岸田家は一家離散します』と宣言しまして。

    なんでかといったら、病気とか、障害とか、おっちょこちょいとかあって、わが家はいろいろ助けが必要だと。でも、家族だけで暮らしていたら、どうにもやっていけへんから、『各自、外で味方をつくってください』というかたちをとることにしたんですね。それぞれが、依存先を増やすこと。それを岸田家では“自立”とします! と。私たちは“戦略的一家離散”って呼んでいるんですけどね」

    弟はグループホームへ、祖母はケア施設へ、岸田さんは京都で暮らし、母は実家と同じ兵庫県内ながら、さらに市街地のマンションへ。週に1度は集合する取り決めだったのに、弟は同年代の友だちができたグループホームが気に入って、帰るのは2週間に1度程度になり、祖母にいたっては施設を故郷と思い込み「ここから出るのはいやや」といい出す始末。

    「とはいっても、当初、母は弟を手元から放すことに関しては、ギリギリまで悩んでましたね。『ずっと家でのびのび育ててあげたい』って。まあ私は、『あいつ、結構したたかやから、大丈夫』っていってたんですけどね。実際、とても楽しそうですし。友達ともっと話したいとか、ちゃんと言葉で伝えないとお風呂の順番あとまわしにされちゃうとか、必要にかられて彼の言語能力はすごく上がっているんですよ。

    その様子を見て母も、『いままで、私が先まわりして通訳しちゃっていたのかな。弟の良太の可能性や生きる力を、ちょっと抑えてしまっていたのかも』と感じたらしく、この決断は結果的に成功だと思っています」

    画像: 岸田さんが大学生のころ、「また家族で沖縄に行きたいな」の母のつぶやきに一念発起。旅行会社の女性の機転、現地のドライバーさんの心遣いで、忘れられない思い出に。以来、毎年3人で訪れている。撮影/narika.k

    岸田さんが大学生のころ、「また家族で沖縄に行きたいな」の母のつぶやきに一念発起。旅行会社の女性の機転、現地のドライバーさんの心遣いで、忘れられない思い出に。以来、毎年3人で訪れている。撮影/narika.k

    “さびしい”と思える自分がうれしい

    愛するからこそ、守りたい。ただ、守るべきと思っていた人が、自分の手から離れていくとき、さびしさがあるのもまた事実。

    「弟がグループホームから帰ってくる頻度が減り、母はさみしさもあったと思います。それはもちろん、私だって。でも、さびしがるって自分勝手じゃないかな? って思ったんです。弟が楽しそうなら、友達が増えてできることまで増えているなら、それはどう考えてもいいことじゃないですか。“さびしい”って感情、自分のためでしかないんですよね。これはきっと、“いいさびしさ”。さびしいと思える自分が、うれしい」

    岸田さん家族の年表

    1991年兵庫県・神戸市に生まれる。
    1995年弟の良太さん誕生。ヒトの21番目の染色体が通常2本のところ、3本あるために起こる生まれつきの疾患・ダウン症が発覚。
    1998年マンションのリノベーションプランナーの父が、iMacを買ってくれる。インターネット黎明期、学校や家以外の場所に世界を見つける。

    当時、学校に居心地の悪さを感じていた。「すると、『おまえの友達なんか、パソコンの向こうにいくらでもおる』と父はいいました」

    2005年大好きだった父が急性心筋梗塞で急死。奈美さん中学2年生、父39歳のとき。
    2007年母・ひろ実さんが大動脈解離で倒れる。意識不明のまま病院に運ばれ、生存確率2割という難手術を受ける。奇跡的に一命をとりとめるが、下半身麻痺の後遺症が残り、車椅子生活に。

    母・ひろ実さんは絶望し、「死にたい」ともらすことも。「そのつらさは伝わったから、私は『死んでもいいよ』といったんです」

    2010年福祉とビジネスを包括的に学ぶため、関西学院大学人間福祉学部に入学。在学中にユニバーサルデザインを手掛けるベンチャー企業「ミライロ」の起業メンバーとして活動。
    2019年家族のことを綴った記事の発信を「note」で開始。閲覧数が100万回を超えるほど反響を呼ぶ。

    そのタイトルは、『弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった』。「岸田家は盆と正月が一度に来たような大騒ぎになりました」

    2020年 「ミライロ」を退職し、作家として独立。初の著書を出版。米国の経済誌・『Forbes』が選出する「世界を変える30歳未満のイノベーター日本版」に選出される。
    2021年母が感染性心内膜炎で入院。生死をさまようが、今回も奇跡的に生還。それと同時に祖母の認知症(“タイムスリップ”と奈美さんは表現)も進行。「戦略的一家離散」と奈美さんは奔走し、祖母と弟はそれぞれグループホームへ入所。祖母はグループホームを「家」と思い、弟は友達との共同生活を心から楽しんでいる。

    一緒に暮らすだけが家族のあり方の正解ではないはず。「それぞれがその場で味方をつくり、生き延びることを“自立”と考えました」

    画像: 岸田さん家族の年表


    〈撮影/杉能信介 取材・文/福山雅美 構成/鈴木麻子〉

    岸田奈美(きしだ・なみ)
    1991年生まれ。兵庫・神戸出身。関西学院大学人間福祉学部社会起業学科卒業。自称:100文字で済むことを2000字で伝える作家。デビュー作『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)が話題となりForbesの「世界を変える30歳未満の30人」に選出される。「note」も更新中。
    X(旧ツイッター):@namikishida

    『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった +かきたし』(岸田奈美・著/小学館文庫)

    画像: ただいま「一家離散中」車椅子の母、ダウン症の弟、認知症の祖母…作家・岸田奈美さんの“やっかいで大切な”家族の物語

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    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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