• 生きづらさを抱えながら、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていた咲セリさん。不治の病を抱える1匹の猫と出会い、その人生が少しずつ、変化していきます。生きづらい世界のなかで、猫が教えてくれたこと。猫と人がともに支えあって生きる、ひとつの物語が始まります。今回は、名前を呼ぶと駆け寄ってくる猫たちとのやりとりから、最期まで伝え続けたい言葉のお話です。

    名前を呼ぶと、呼んでいない猫までやってきます

    10匹の元保護猫と暮らしています。

    そのうち少なくとも7匹は、確実に自分の名前を覚えています。

    「全」と呼べば全が振り向き、「さっちゃん」と呼べばサチが顔を上げます。

    不思議なのは、きょうだいや親子で一気に保護した子たちです。

    画像: 「お母さんが何か鳴いてるよ」←まだ名前がわかってないズ

    「お母さんが何か鳴いてるよ」←まだ名前がわかってないズ

    同じ家にやってきて、同じようにごはんを食べ、同じように名前を呼ばれてきました。それなのに、いつの間にか、「あ、これは自分のことだ」とちゃんと理解しているのです。

    毎日の暮らしのなかで、自分に向けられる声の響きや、呼ばれたあとの出来事を少しずつ拾い集めて、「これが自分の名前らしい」と知っていくのでしょうか。

    画像: 「あ、いま、呼ばれた!」

    「あ、いま、呼ばれた!」

    しかも、名前を覚えているだけではありません。

    甘えん坊になると、さらにややこしいことになります。

    自分の名前を呼ばれたときより、ライバルの名前が呼ばれたときのほうが、すばやく駆け寄ってくることがあるのです。

    「〇〇ちゃーん」と別の猫を呼んだ瞬間、「いま、だれを呼んだ?」という顔で、本人より先にやってきます。そして当然のように、なでられる場所へおさまります。名前というより、「自分以外がかわいがられようとしている」という事態を聞き分けているのかもしれません。

    画像: 「いま、別の子を呼びましたね?」

    「いま、別の子を呼びましたね?」

    そんな猫たちと暮らしているうち、私は猫に向かって話す言葉を、以前より少しだけ気にするようになりました。

    たとえば、叱るときです。多頭飼いだと、だれがやったのかは意外と大事です。ほかの子を間違って叱りたくないので、「〇〇ちゃん、それはあかんよ」と、名前を呼びます。

    ただし、どれだけ怒りが込み上げるようなほかの子への意地悪をされても、「ばか」とか「嫌い」といったネガティブな言葉は、ぜったいにいわないようにしています。

    画像: 呼ばれたほうだけ振り向きます

    呼ばれたほうだけ振り向きます

    猫が日本語をどこまで理解しているのか、私にはわかりません。けれど、わからないからこそ、いわなくていい言葉はいわないほうがいいと思っています。

    声の調子なら、きっとわかるはずです。

    こちらが腹を立てていることも、機嫌がいいことも、おそらく人間が思っている以上に伝わっているように感じます。

    だから私は、「そんなことしたら、〇〇ちゃんが嫌でしょ」「そこに乗ったら危ないよ」「それはみんなのごはんやから取ったらあかんで」などと、一応説明します。

    もちろん猫なので、またやります。数時間後どころか、数分後にやることもあります。

    けれど注意されたその瞬間だけは、「わかった!」という顔をします。耳を少し横にして、目を輝かせ、妙に神妙な顔をするのです。その顔を見ると、「絶対わかってへんやろ」と思いながらも、つい許してしまいます。

    猫との会話は、人間同士の会話とは少し違います。返事が言葉で返ってくるわけではありません。けれど、しっぽが動きます。耳がこちらを向きます。目を細めます。呼んでもいない猫まで走ってきます。

    そして長く一緒に暮らしていると、その小さな反応が、だんだん返事に見えてきます。

    もしかすると会話というのは、同じ言葉を使うことではなく、「あなたに話しかけていますよ」「あなたの返事をちゃんと受け取っていますよ」と、お互いに伝え合うことなのかもしれません。

    そう思うと、今日も私は猫に話しかけます。

    「かわいいなあ」
    「今日も元気やな」
    「長生きするんやで」

    猫はたぶん、全部はわかっていません。

    私だって、猫のいっていることを全部はわかっていません。

    それでも10匹と暮らす家では、一日じゅう、けっこう会話が成立しています。

    画像: 名前を呼んで、愛してると伝えて……

    名前を呼んで、愛してると伝えて……

    ◇ ◇◇ ◇◇


    画像: 猫の“横入り”も会話のひとつとして楽しみます

    咲セリ(さき・せり)
    1979年生まれ、大阪在住。作家、家族療法カウンセラー。夫と10匹の元保護猫と暮らす。心の病や生きづらさを抱えるなか、不治の病をもつ一匹の猫との出会いをきっかけに、「命は、生きているだけで愛おしい」ということを知る。以来、生きづらさのなかにある小さな希望を、ノンフィクションや小説、エッセイに綴りつつ、NHKの福祉番組への出演、全国での講演などでも活動。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日』(KADOKAWA)など。

    ◆note:https://note.com/sakiseri

    ◆ブログ「ちいさなチカラ」

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    「ひとりきりでも、揚げたてコロッケはおいしいけれど、絶滅の前夜、恐竜たちは、誰かと何かを食べたのだろうか」
    大阪の片隅。この世界からこぼれそうな人たちが、ふっと息をつけるうらぶれた居酒屋「飛鳥」。

    ・本日のフランス料理「ちくわぶとねぎのグラタン」
    ・自動販売機の50円のカフェオレチューハイ
    ・猫も喜ぶどて焼きオムレツ
    ・裏メニュー「ぐちゃまぜ豆腐丼」

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