お盆をすぎましたが、暑い日が続いています。長野県=避暑地のイメージがあるものの、じつは伊那谷は、「谷でありながら盆地(伊那盆地)である」と言われ、日中はなかなかの暑さ。とくに今年の日差しは強烈に感じます。
またしても外に出る機会を失い、自宅でちんまりとすごしていたある日、東京の父から一冊のアルバムが送られてきました。開いてみれば懐かしい、私がネパールへ一人旅をしたときに撮った写真たちでした。
巻末に綴じられていた航空券を見ると、渡航は2004年8月16日のこと。なんと、ちょうど16年前の今ごろのことです。当時勤めていた会社を辞め、転職先へ行くまでの10日と少しの “空白の期間” に、私は思い切って旅に出ることにしたのです。
いったいなぜ、ネパールへ? 行き先を決めたその理由は、「富士山よりも高いところに行ってみたい!」という、笑ってしまうほどシンプルなもの。
けれど当時の私は不思議なほどそれを必然のように感じていて、はやばやとトレッキングガイドの予約をし、最初の宿までおさえて彼の地へと向かったことを覚えています。
首都カトマンズから、ガイドとともに小さなセスナ機に乗って、エベレストベースキャンプへと続くトレッキングルートの入り口の町・ルクラへ。
はじめて目にするアジアの山郷の風景は、意外にも物珍しさより、すぐにしっくりと馴染んでしまいそうな心地よさがありました。
足がすくんでしまうくらいの峡谷と、そこにかかった頼りなさ過ぎる吊り橋の連続には少々面食らったものの、山道はほとんどが「トレッキング」という言葉がぴったりのなだらかな道。
そして時折現れる集落では、穏やかな山岳の民たちの暮らしがしっかりと息づいています。
「エベレストのほうに行くのだから」と、慌てて堅牢な登山靴を買って臨んだのに、ある集落で出会った籠を編む少年の足元を見れば、つっかけたサンダルばきで。
もちろん、私たち旅行者には登山靴は必須だとわかっていながらも、カゴを編む手さばきのよさも含めて彼のその姿がとても頼もしく、輝いて見えました。
それに比べて私はいかに、頼りない存在か、とほほ……。と、なんだか思い知らされたような気持ちになったことを、写真を見て思い出しました。
道中ではこのほか、切った野菜や草、スパイスなど、さまざまなものを庭に広げて干している風景にもたくさん出逢いました。この写真の草は、馬か牛のエサでしょうか。
そういえば、家畜らしき動物もほとんどが放し飼い。ある日の朝、濃い霧が立ち込める一面の花畑の向こうからカラン、カランと牛の首につけられた鈴の音だけが聞こえたその時間は、うっかり天国に来てしまったのかと思うほど美しいものでした。
標高3440mの村・ナムチェバザールをすぎ、いよいよ最終目的地としていたタンボチェに近づいてくると、山ぎわの道からは6000メートル、7000メートル級の山々が眼前に迫って見えてきます。
雲が切れたらもちろん、エベレストの姿も。荘厳な山々の頂に光る雪の色は白よりも深い青色、そう氷河のようなブルーだったこともまた、忘れられない旅のワンシーンです。
空を映していたのでしょうか、とても美しいその青が今も瞼の裏に焼き付いていて、ふいに思い出されるのです。
なぜ人は旅をするのか。その深遠な問いに明確な答えは出せないけれど、なかなか遠くへの旅ができない今、これまでの旅で得たたくさんの思い出たちを味わう時間は、引き出しの奥に見つけたキャラメルのように私の心をふんわりとやわらかくしてくれます。
そしてなにより、世界中から届くニュースを近くのできごととして感じられる想像力は、旅という経験から受け取ることのできる大きなギフトではないかと思うのです。
玉木美企子(たまき・みきこ)
農、食、暮らし、子どもを主なテーマに活動するフリーライター。現在の暮らしの拠点である南信州で、日本ミツバチの養蜂を行う「養蜂女子部」の一面も
<撮影/佐々木健太(プロフィール写真)>