はじめに
「本当に生まれてしまった……」
会社の入社式があった春の日、新入社員への挨拶を終えて帰宅した私はスーツ姿で呆然としていた。目の前には、小刻みに震えながら産声をあげる小さな命が映っている。
それは、エミューの雛だった。
羽毛は濡れ、春の日差しを浴びて発光していた。目はまだ開かず、首もすわっていない。それでも、親を探してピイピイと鳴く声は必死で、か細く、小さな体の全てから、生命が放射されているようだった。
どれほどの時間、その場にへたりこんでいただろう。
私は、震える手で孵卵器を開き、体に張り付いた殻をひとつひとつ取り除いた。抱き上げるとしっとりして、骨は柔らかく、お腹にはまだ卵黄が残りぷっくりと膨らんでいた。
雛の高い体温が、手のひらに伝わる。温かいというより、熱かった。大きく波打つ心臓の鼓動が、ドクンドクンと鳴っていた。その拍動が私の体に共鳴し、私は自分の心音が強く早く脈打つように感じた。
雛は小さく震えていた。
そっと孵卵器に戻すと、その不完全な、まだ生き物になろうとしている途中のような小さな命は、私の手のひらに身を寄せようと体をよじり、頭をこすりつけて、ピィ、と小さく鳴いた。親を求めているのだ。
予感がした。人生にこの子と過ごすよりも大切なことなんて存在しない。きっとすぐに、そう思うことになるだろう。
目の前では命がまたたいている。病めるときもすこやかなるときも、この子と過ごす全ての瞬間を、余すことなく書き留めていきたい。
私のエミューちゃん日記がはじまった。
エミューちゃん誕生前夜
某月某日 河原でお雑煮を食べた日
凍てつくように寒い冬の夜。私は羽毛布団にくるまって上機嫌で友人グループにメッセージを送りつけていた。
「山に引っ越しました! 敷地が余ってるので、何か山でやりたいことある人いませんか?」
その頃、私は念願だった山奥への移住を成し遂げたばかりだった。狭くせわしなく不自由な東京を離れ、人里離れた静かで美しい土地での新生活にすっかり浮かれていたのだ。
ところが、返ってきたのは、予想外すぎる返事だった。
「エミュー飼いたいです」
思わぬ一言に、私は動揺した。
「エミュー……!?」
山で焚き火をしたり、きのこ狩りをしたり、ヤギを飼ったりしたいと思っていたのに。「エミュー、身長」で検索すると、成鳥は2メートルになることもあると書いてある。
この人達は何を言っているんだろう。私が絶句している間にも、話はどんどん進行していった。
「僕も飼いたいです」
「エミューの繁殖期は冬なんです! 今、卵を買わないと間に合いません」
「みんなで孵化させて飼いましょう」
私の困惑をよそに、グループはどんどん盛り上がっていく。
それにしても「みんなで飼う」とはどういう意味だろうか。
不安になって尋ねると、なんと「雛の間は東京で各人が育てて、大きくなったら私に押し付ける」という恐るべき計画であることが発覚した。
「そんな! 確かに敷地はありますが……」
「僕の同居人が前に僕と同じ部屋でエミューを飼っていたのでなんとかなると思います」
「でも、都内からいつでも来られるわけではないですよね。もし、すごい暴力的なエミューに育ってしまったらどうするんですか。私1人じゃどうにもできませんよ!」
文句を言うと、友人は、どこからともなく大学でエミューの研究をしていたという謎の人物を召喚し、「困ったときは、この人が自分の農園で飼ってくれます」と太鼓判を押した。謎の人物は「話がよく見えませんが、わかりました!」と、尋常ではない心の広さで友人の無茶振りを快諾していた。
続いて「困ったら私も引き取れます」との声が続々届き、どんどん断る理由がなくなっていく。
このグループは、自然やプリミティブな生活に興味がある人々の集まりで、農学部出身者や動物関係の仕事をしている人も多く、動物に対する意気込みが普通の人とは桁違いなのだった。
追い詰められた私がグズグズ言っていると、友人は切り出した。
「いざとなれば食べることもできます」
「エミューは家畜であり、と畜場法の規制にも鳥獣保護法の規制にもかからないため個人での屠畜が認められている」と彼は畳み掛けた。法律で規制されていないから大丈夫という話でもない気がするが、私は、友人のただならぬ迫力に圧倒され、思わずこう答えてしまった。
「本当に、残さず食べると約束できますね」
「やっぱりできないとか言わないでくださいね」
エミューを飼うという運命に向かって、人生が狂い始めた瞬間だった。
〈撮影/仁科勝介(かつお)〉
砂漠(さばく)
東京生まれ東京育ちの山奥に住むOL。現代社会に疲れた人々が、野生の生活や異文化に触れることで現実逃避をする会を不定期で開催。ユーラシア大陸文化が好き。現在はエミュー育てに奮闘中。
Twitter:@eli_elilema
note:https://note.com/elielilema