「生きる力」の基盤は、8歳までに作られる
運動、国語力、理系力、芸術、コミュニケーションなどの「生きる力」は、人が生きていく上では欠かせない能力です。そして、脳科学の視点から見ると、これらの力を育てるには、8歳までの育て方が非常に大切になってくるのだと、黒川先生は語ります。
「8歳は、小脳の発達臨界期と言われています。発達臨界期とは、『そこまでに機能がおおかた取り揃い、以後、新しい機能が増やしにくくなる』限界点のこと。そのため、小脳が担う創造力の基礎は、人間が8歳になるまでに整えられていくのです」
なお、小脳は、空間認知と運動制御を司る潜在意識下の器官です。たとえば、「歩く」という行為にしても、実は小脳の支配下にあるのだとか。小脳が担当する二足歩行は、遅くとも8歳までにマスターしておかないと、後は習得が困難になるとされています。
外国語教育に時間を使うよりも、情緒豊かな母語教育を
二足歩行だけではなく、「しゃべる」という行為にも、小脳の働きが大きく関わってくるのだとか。
「横隔膜を使って、肺の息を排出しながら、声帯を震わせ、喉壁や舌、唇を技巧的に動かしてことばを発するという行為は、とても運動センスを使います。さらに、話し相手の距離によって音量も調整しています。
『しゃべる』こともまた、空間認知と運動制御を駆使する、とても小脳らしい出力の一つです。ゆえに、8歳は脳の言語機能獲得の臨界期でもあり、8歳までに十分母語(人生最初に獲得した言語)の発音を見聞きし、自らしゃべって、言語機能を取り揃える必要があります」
そのため、小脳がぐんぐん発達する幼児期に大切なのが、母語体験です。
「母語は自然に身につくものだと思われがちですが、心がけて対話しないと母語体験は案外希薄になってしまうもの。外国語教育に目を血走らせる前に、情緒豊かな母語で、母と子はふんだんに対話をしてほしいです」
スマホ授乳中はもったいない? 授乳中は言語機能発達のチャンス
また、母親が隙あればスマホや携帯電話に夢中な時代だからこそ、意識的に子どもと対話をしてほしいと黒川先生は続けます。
「私自身、息子が生まれたその日から、ずっとしゃべりかけてきました。『雨が降りそうね。風の匂いが変わったもの』『お腹すいた。蕎麦でも茹でようかな』と、一見何気ないことでも、授乳中には、ことさら、降るほど息子に話しかけました。それは、言語機能の発達に効果が大きいと踏んだからです」
そして、不思議なことに、赤ちゃんの発話は、母親のことばを、「音」よりも「動作」としてとらえることから、始まるのだとか。
「赤ちゃんは、目の前の人の表情筋を、そのまま自分の神経系に移し取る能力が高いので、ことばを発音動作として認知し、しゃべり始めるのです。つまり、ヒトは、ことばを『音』より前に『動作』として知るのです。赤ちゃん自身が口角筋をなめらかに動かしている授乳中の語りかけは、母親の発音動作をコピーしやすく、発話につながりやすいのです」
スポーツや芸術に加えて、理系のセンスも高める小脳の働き
そして、小脳の力を高めることで、スポーツや芸術のセンスのみならず、理系のセンスを培うことにもつながるとのこと。
「理系のセンスは、空間認知から始まります。『距離』や『位置』を認知し、『構造』や『数』を理解し、やがて、脳に仮想空間を作って、そこで遊ぶ。その一連の“概念遊び”を支えるのが、小脳の空間認知力です。小学校低学年の運動センスが、のちの理系の成績に比例するという報告を目にしたこともあります」
東大現役合格者の傾向は、「早寝早起き朝ごはん」と「運動能力」
以前、毎年大量の東大合格者を出すことで知られる筑波大駒場高校の先生と黒川先生が対談した際、テーマは「東大現役合格者の共通の傾向」に。対談相手の先生が挙げたのは、「早寝・早起き・朝ごはん」と「運動能力」だったとか。
「突出した速さとか強さとかではなく、マット運動も球技もそれぞれにこなせて楽しめる、バランスいい運動能力、という言い方をされたのが印象的でした。理系のセンスと身体を動かすセンスは、共に小脳を使います。昔から、いい研究者は体幹バランスがいいと、ぼんやりと思っていましたが、やはり、両者は不可分だったのだなと感じました。
つまり、8歳までの小脳発達は、運動センス、芸術センス、そして学術のセンスにも関わって来る。言語能力に関わるので、国語力やコミュニケーションセンスにも寄与します。ということは、人間のセンスのすべてではないでしょうか」
野山を駆け回る「自由遊び」で小脳を刺激しよう
では、気になるのがどうやって小脳を発達させるのか。その決め手の一つは、「自由遊び」だそうです。
「野山を走り回る、外遊びは、小脳の発達に大きく影響します。都会の子なら、ジャングルジムや滑り台などの高低差のある空間の自由遊びでもいいですね。あと、年齢の違う子同士の自由遊び(運動能力の違う身体を見て、触れること)は、特に小脳を刺激し、発達に誘います。
我が家の場合は、一人息子だったので、保育園に早くから入れることは、小脳発達支援の一環でもありました。お母さんの手元で、手厚く子育てできることは、とてもとても幸運なことだと思うけど、一人息子をお育ての方は、年齢が『上の子』や『下の子』と触れ合う自由遊びの機会を、ぜひ持たせてあげてほしいですね」
また、家の中でのミニカー遊びやブロック作りは無駄かといえば、もちろん、そんなことはありません。
「こちらの“内遊び”もまた、空間認知力を鍛える大事な時間。『構造』の理解に欠かせない小脳のエクササイズなので、ぜひ積極的に遊ばせてあげましょう」
こうした黒川伊保子先生が語る、才能あふれる息子の育て方については、『イラストですぐわかる!息子のトリセツ』(黒川伊保子=著 扶桑社)に詳しくつづられています。
黒川伊保子さん
脳科学・人工知能(AI)研究者。1959年、長野県生まれ。奈良女子大学理学部物理学科卒業後、コンピュータ・メーカーにてAI開発に従事。2003年より株式会社感性リサーチ代表取締役社長。語感の数値化に成功し、大塚製薬「SoyJoy」など、多くの商品名の感性分析を行う。また男女の脳の「とっさの使い方」の違いを発見し、その研究成果を元にベストセラー『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』(共に講談社)、『娘のトリセツ』(小学館)を発表。他に『母脳』『英雄の書』(ポプラ社)、『恋愛脳』『成熟脳』『家族脳』(いずれも新潮文庫)などの著書がある。
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