ご縁をただただ待ち望む日々
特別養子縁組を仲介する民間のあっせん団体へ無事入会し、団体が主催する研修会や交流会に定期的に参加するようになったセキさん。
新生児のいるご家庭を訪問し、抱っこをさせてもらったり、お世話の仕方を教えてもらったり。月1回ほどの頻度で行われる交流会では、既にご縁のあった先輩ご家族からお話を聞かせてもらったり、同じ境遇である、いわゆる“待機”と呼ばれるひとたちとは情報交換をしたり。
子を迎えるために必要な知識を少しずつ身につけながら、永らく夢見ていた「子どもを育てる」という機会が段々と近づいていることに、期待はむくむくと膨らんでいきました。
子どもの幸せを第一に、子どもの福祉を何よりも優先することが、そもそも特別養子縁組制度というものが設けられた理由であり、制度の根幹です。
セキさんが入会した団体には、当時、「子が3歳になるまでは、保護者のどちらか一方は子育てに専念する」という入会条件がありました(いまは「子どもの入園前まで」に変わりました)。それは、その団体が子どものことを一番大事に考えているからこそ。
これまで夢中になって好きなデザインの仕事に邁進してきたセキさんにとっては、なかなか高いハードルでしたが、その条件はむしろ団体の信念への共感と信頼に繋がり、入会した時点で、「ご縁に恵まれたら完全に仕事は休もう」、とセキさんは決意していました。
しかしながら。なかなか連絡はありません。
期待が膨らむ一方で、夢が叶わないときのことを考えて気落ちする日も多かったと、セキさんは話します。
とはいえ連絡がこないため、もどかしい気持ちを抱えながらも、控えつつあった仕事を辞められずにいました。そんな状況に不安が募り、少し焦りを感じていたとき、交流会でいろいろと教えてくださる団体の地区リーダーに、思い切って相談してみることにしました。
団体にもよるようですが、“待機している”ひとへのお子さんとのご縁の連絡は、基本的には入会した順であることが多いようです。が、前述の通り、子どもの福祉が第一の制度ゆえ、団体によっては、ご家庭のさまざまな状況を見て、総合的に判断していることは、想像に難くありません。
地区リーダーから自身の仕事のことについて助言を受けたセキさん。ある大きな決断を下します。
仕事をいったんやめてみる
それは、まだ何も連絡がない状況で、いったん全部の仕事を休もうと決めたことでした。現在請け負っているものは期日通りにおさめ、これからくるオファーはすべて断り、今後も継続する長期的な仕事は、会社のスタッフに任せるなどして完全に休めるよう、クライアントや会社のスタッフと相談しながら整理していきました。
周りの人に迷惑をかけてしまうという申し訳ない気持ちと、どうしても子どもを迎えたいという希望に揺れながら。
そうして、セキさんが完全に仕事を中断し、子育てに専念できるようになって数週間が経った頃。まるでその状況を赤ちゃんが待っていたかのように、連絡が入りました。
一報が入ったのは、期せずして、家族そろってレストランで、夫である清水さんのお母様と妹さんの誕生日をお祝いしていた夜のことでした。着信履歴に団体名が表示されたとき、「ピン」ときたセキさん。「女の子です!」という先方の言葉に、ふたつ返事で、大喜びで迎え入れることを伝えました。
「そのときのあの瞬間をファミリーと一緒に体験できたことは、何よりもうれしいことでした。妹が気を利かせてその場でレストランにお願いしてくれたみたいで、そのあとメッセージが描かれたケーキがテーブルに運ばれてきたのことを覚えています。みんなに立ち会ってもらえて、あの喜びを一緒に味わうことができて、本当に光栄でした」(セキさん)
スウェーデンから帰国して4年、団体に入会してからは1年半の月日が経過していました。
これからいままで夢に見ていたお子さんとの生活が始まります!
次回は、いよいよ始まったセキさんと赤ちゃんとの生活の日々を。
〈撮影/前田景〉
遊馬里江(ゆうま・りえ)
編集者・ライター。東京の制作会社・出版社にて、料理や手芸ほか、生活まわりの書籍編集を経て、2013年より北海道・札幌へ。2児の子育てを楽しみつつ悩みつつ、フリーランスの編集・ライターとして活動中。