「麦音」のはじまり
1950年創業の、帯広の中心街に店を構えるパン屋「満寿屋」。
ふんわりと柔らかいパンは、子どもからご年配まで、誰しもが好むやさしい味わいで、帯広住民にとっては昔から当たり前のように存在している、地元に愛される老舗のパン屋です。
その満寿屋の亡き2代目社長は、雄大な十勝の小麦畑を前に、小さな疑問を抱きました。今から25年も前の話です。
「十勝にはこんなにも小麦畑が広がっているのに、どうしてパンには外国産の小麦粉を使わなくてはいけないのだろう?」と。
もともと地元産の食材を使おうと努めていた社長の小さな違和感が、今でも揺らぐことのない “地産地消”への熱意を生み出し、2009年に、全商品北海道産小麦粉を100%使用したパン屋「麦音」が誕生しました。
現在(2021年)満寿屋が展開する店舗は、麦音も含めて全6店舗ですが、2012年には全店舗の全商品が、北海道・十勝産小麦粉100%使用に変わっています。
今でこそ、全国的に見てもさして珍しくなくなった、“国産小麦粉100%使用”という謳い文句。
でも、当時、小麦生産量・全国一位を誇るここ十勝でも、栽培されていた小麦粉はもっぱらうどん用で、ここまでくる道のりは、決して平坦ではありませんでした。
農家を一軒一軒回って、パン用小麦の栽培をお願いすることから始まったといいます。
十勝の魅力を五感で感じられる場所
2004年から5年かけて構想し、開店に至った麦音は、3400坪という異例の広さで、パン屋としては日本一の面積を誇ります。
パン屋をなぜそんなに広く? という問いに、現社長・杉山政則さんは、「十勝産の小麦、そして十勝という土地の魅力を最大限表現するには、この広さが必要だったんです」と教えてくれました。
パンの原材料である小麦がどのように育つのかを見てもらいたい、と設けた小麦畑は、新入社員が、帯広農業高校の生徒とともに種まきをし、収穫は一般のお客さんも体験できるようにしています。
開放感のあるテラス席では、景色を楽しみながら時間を気にせずおいしいパンを頬張れるし、広い芝生では、食事に飽きた子どもを近くでのびのびと遊ばせながら、お母さんはリラックスして麦音のパンを楽しめます。リードフックも多数設置されているので、ペットと一緒に来ても大丈夫。
5〜10月の平日・毎日午前11時からは、建物の前で地元のオーガニック農家が出店する「ビオまるしえ」が開かれ、パンと一緒に十勝産の新鮮な野菜も手に入ります。
店の前にある水車と屋根に設置された風車で石臼に力を送り、ごく一部ではあるものの、電力に頼らずパンに使用する小麦を挽き、一部のパンは、木材ペレットを燃料に使用する石窯で、ふんわり香ばしく焼き上げています。
十勝の小麦から始まる幸せの連鎖が、この広大な敷地をぐるりとやさしく囲んでいるのです。
「十勝は世界一の場所」
「十勝の農家さんはとても勉強熱心で真面目で、おいしい作物を一生懸命いっぱいつくってくださる。それを私たちがパンにして、そのパンを農家さんがおいしいおいしいと言って食べてくださる。こんなにうれしい循環はありません。十勝は世界一の場所です!」
地元で巡る幸福な循環。観光客も多くやってきますが、麦音はなによりも地元を愛し、地元に愛されたパン屋です。
そんな杉山さんの次なる夢は、敷地内に「究極のパン屋をつくること」。
電力会社に頼らないオフグリッドでパンづくりの全工程を賄い、使用する小麦粉は北海道産のオーガニックを、と大きな夢を抱いています。
これは、大好きな十勝という土地の魅力を最大限発揮できるということと同時に、きっとこれまで支えてくれた十勝への恩返しのような試みであるのかもしれません。
種をまく音、麦の穂が風に揺れる音、石臼で粉を挽く音……、いろいろな“麦”の“音”が聞こえるからと名付けられたパン屋・麦音の、これから奏でる音が、また、楽しみです。
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お話を伺ったのは……
右)代表取締役の杉山雅則さん
左)広報の大川原典宏さん
麦音
住所:北海道帯広市稲田町南8線西16-43
電話:0155-67-4659
営業時間:6:55~18:30
〈撮影/古瀬 桂 取材・文/遊馬里江〉