(『天然生活』2018年5月号掲載)
きっかけは、五代目の祖母ヒロさん
クリーム色の紙の上を、万年筆がごくなめらかに進んでいきます。 にじみのない、素直な線。どこまでも字を連ねていけそうな気持ちよさがあります。
川端康成、司馬遼太郎、幸田文、吉行淳之介、大江健三郎、山崎豊子......。名だたる文豪が、この満寿屋の原稿用紙を創作の相棒にして名作を紡いできました。
パソコンで文字を打つのが主流になったいまも、手書き派の作家が「これでなければ」と信頼を寄せ、文具好きや万年筆愛好家が、その書きやすさに心酔しています。
舛屋(満寿屋はブランド名)の創業は明治15年。当初は、贈答用の砂糖を入れる和紙袋を中心に営業していたといいます。
店の代名詞となる原稿用紙が誕生するのは、もう少しあとのこと。現社長で五代目の川口昌洋さんの祖母・ヒロさんが引き寄せた、出会いがきっかけです。
小説家を夢見ていたというヒロさんは、文学仲間が集う東京・早稲田の喫茶店によく通っていたそ う。そこで顔見知りになったのが、作家の丹羽文雄。
昌洋さんいわく、ヒロさんは「ちゃきちゃきの江戸っ子」。臆することなく、自分の書いた小説を丹羽に見せたのだとか。すると、丹羽はいいました。
「きみの家は紙屋だろう。書かなくていいから、ぼくらの原稿用紙をつくってくれよ」
時は第二次大戦目前。紙を含む物資が統制されはじめ、原稿用紙も手に入りにくくなっていました。 作家が何気なく発した切実なひと言によって、ヒロさんは原稿用紙をつくる決心をします。
「最初は既製の紙で、細々とつくっていたようです。祖母は原稿用紙をリアカーに積んで、自分で届 けにも行ったとか。文学少女でしたから、作家の役に立ちたいという思いが強かったのでしょう。そ の情熱が、満寿屋の原稿用紙の礎になっているのだと思います」
舛屋にいえば原稿用紙をつくってくれるぞー、そんな情報が作家たちに、またたく間に広がっていきました。
作家のために追求した〝書きやすさ〞が満寿屋らしさに
社名の舛屋を「おめでたくした」という「満寿屋」をブランド名にして、ヒロさんは、原稿用紙づく りに、ますます奔走します。
そして時代は進み、オイルショックの騒動をきっかけに、オリジナルの紙を開発。目指したのは、万年筆で書きやすい紙。もちろん、万年筆を使う作家を想定してのことです。
「万年筆に適した紙というのは、目の細かさの塩梅が重要です」と昌洋さんはいいます。
繊維が締まって目が細かければ、なめらかで書き心地はいいけれどインクが乾きにくい。目が粗いと、インクはどんどんにじんでしまうのです。
「祖母と父が製紙会社と協力して各社のインクを何度も試しながら、 繊維のちょうどいい塩梅を模索したそうです。当時、にじみやすいとされていた、とある海外メーカーの赤インクでもきれいに書けたとき、『これでもう、大丈夫だ』と」
たどり着いた最良の紙は、夜に執筆する作家の目の負担を減らすために、ライトの照り返しを和ら げるクリーム色に。とことん作家のために、書くことにこだわって、 特製の「クリーム紙」は完成しました。
現在、満寿屋の原稿用紙は、このクリーム紙と、既製紙から厳選した純白のデラックス紙をそろえています。
「仕入れるときは試し書きをして、クリーム紙と遜色のない書き味の紙を選んでいます。白地だと赤や緑の罫線が映えるので、好まれる方も多くいらっしゃるんですよ」
満寿屋の原稿用紙は、罫線の色だけでも赤や青、グレーなど8種類。紙のサイズは、半紙よりやや 大きい美濃判から、はがきサイズまで6種類あり、升目の形もさまざま。ラインナップは35種類にものぼります。そのほとんどが、作家の要望によって生まれています。
「商売道具だから、罫線の色、升目の形、ルビの有無、皆さん、それぞれにこだわりをもっていらした。要望に沿うかたちで種類が増え、すべてが満寿屋の定番になりました。いまも使ってくださる人は好みの色や形が決まっています。 ひとりでも愛用者がいる限り、種類を減らさずつくりつづけます」
また、作家たちがそうしたように名前を入れたり、土橋正さんが使っている原稿用紙(上記参照)のように、フルオーダーしたりすることも可能です。使う人に寄り添いつづける姿勢は、時代に合わせて、さらに一歩進んでいます。
「はがきサイズは、升目を気にせずにメモや一筆箋のように自由に使ってほしいと思ってつくったも のです。原稿用紙であることを意識しないで〝書きやすい紙〞として生活に取り入れてもらえたら」
手書きの楽しさを伝えるものをつくりたい
舛屋には作家から送られてきた手紙や直筆の原稿が大切に保管されています。おおらかだったり、 几帳面だったり、勢いがあったり。紙に残る手書きの文字を見ていると、遠い存在の大家が身近になるようで、息遣いが伝わってくるようで、心を動かされます。
「手で書いた文字には、その人の個性や書いたときの感情がそのまま表れる気がします。それが手書きのよさであり、手書きでしか表現できないことも、やっぱりあるのだと思います」
クリーム紙を大切に受け継いでいくこと。書くのが楽しくなるものをつくること。
五代目としてふたつの使命をみずからに課して、昌洋さんは最近、クリーム紙のノート「MONOKAKI」と、原稿用紙製の便箋と封筒「FUTOKORO」を開発しました。ノートは紙の書き味に加えて、開きやすい製法でも書きやすさを叶え、 便箋と封筒は、罫線をあえて裏側に印刷して遊びごころを込めました。
「満寿屋らしさは損なわず、これまでのイメージを覆していけたら」
書きやすさを変わらずに追求して、「書く楽しさ」も叶えていく。 珠玉の原稿用紙を生んだ老舗の静かな進化は続いていきます。
<撮影/寺澤太郎 取材・文/熊坂麻美>
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです。
土橋 正(つちはし・ただし)
ステーショナリーディレクター。文具の商品企画・売り場のディレクションを行う。ウェブ「pen-info」では文具コラム を発信中。『暮らしの文房具』(玄光社)など、著書多数。
https://www.pen-info.jp/