(『ぶらり、世界の家事探訪』より)
リサの洋服は10着ちょっと
ポリ(フィンランドの都市)からの帰りに、気になっていることをリサに尋ねた。リサの持ちモノが限りなく少ないことだ。私には、理想的なモノの数に思えた。
引っ越してまだ2年という影響はあるかもしれない。だが、ありあまる自然環境の中で暮らしているからこそ、必要以上は持つ必要はない、とも思えてくる。
人は自然界に生きる、一種類の生き物である。それを、ここフィンランドは思い出させくれる。自然に対して負の影響を大きくするモノは、極力避ける暮らし方だからか。
リサの持ちモノを見て、私は大いに反省した。
第一、住む家にリユースした小学校を選ぶところから驚かされたが、そこに住むにしても、私だったら内装を業者に依頼して、ほぼ完全に改装して住むだろう。
リサたちは違っていた。壁紙、その他コンセント、カーペットなど、手を加えない状態で住んでいる。
さらに、持ちモノについても驚き、大いに反省したところがある。それは衣類だ。私の場合、クローゼットからはみ出し、溢れるほどの衣類を持っている。それなのにいつも「着ていくモノがない」と、整理もせずに、新たな衣類を購入する。
しかし、リサはどうか。家でも、ポリに出かけるときでも、毎日同じ服を着ている。私には、いくら乾燥した土地であっても、毎日同じ服を着ることは考えられない。
とうとう我慢できずに、リサにクローゼットや靴箱などを見せてもらった。
自分の暮らしに引き寄せ、またも反省。私たちは衣類を持ちすぎている!(商品科学研究所が調査した「生活財生態学調査」によると、私たちはひとり200着以上所有している)
なんと! リサの洋服は10着ちょっとだ。
それと数着のコート類、ストール、肌着類。靴は10足たらず。これが、リサの全ワードローブ。ビックリだ。毎日服が同じなわけだ。それにしても、少なすぎる。
モノがあればそれだけ手入れに時間がかかる
大きなリユース小学校に暮らしているのだから、モノが多くても収納場所には一向に困らない。でも、持っていない。
彼女自身に自信があるのか、人は外見じゃないとの考えか、見栄など不要なのか、どれも当てはまりそうだ。
人は自然界の一部だと思って暮らしたら、きっと、着るモノなどは最低数あれば事足りるとの考えになるのかもしれない。
衣類が多ければ、それだけ手入れに時間も手間もかかる。それは家事の時間となり、誰かが時間の消費を迫られるはずだ。枚数が少なければ、その消費も少なくて済む。
ちなみに、リサに洗濯についても聞いてみた。ここでまた驚いた。何と月1回だそう!
私たちは毎日洗濯している、と話すと、「そんなに洗濯したら着るものがなくなっちゃう!」という。
それもそうなのだが、月にたった1回とは、どういうことか。気候風土、習慣、時間がない、いろいろ考えられる。
これは、リサだけなのかな? それにしても、洗濯しなさすぎて、不衛生ではないのか、な?
この疑問には、すでにポリのマイヤーが答えてくれていた。子どもがいれば洗濯回数も増えるそうだ。普通の家では、だいたい週2〜3回の洗濯であると話してくれた。ホッとする。
本記事は『ぶらり、世界の家事探訪』(だいわ文庫)からの抜粋です
〈撮影/阿部絢子 イラスト/木下綾乃〉
阿部絢子(あべ・あやこ)
1945年、新潟県生まれ。共立薬科大学卒業。薬剤師の資格を持ち、洗剤メーカー勤務を経て、生活研究家・消費生活アドバイザーの経験を活かした、科学的かつ合理的、環境に配慮した生活全般にわたる提案をしている。また、世界各国の家庭にホームステイをし、その国の暮らし・家事・環境などを研究している。薬剤師として、現在も調剤薬局で働いている。主な著書に『キッチンに一冊 食べものくすり箱』(講談社+α 文庫)、『「やさしくて小さな暮らし」を自分でつくる』(家の光協会)、『ひとりサイズで、きままに暮らす』『老親の家を片づける ついでにわが家も片づける』(ともに大和書房)ほか、多数。
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