• 悪性リンパ腫を患い「余命6カ月」の宣告を受けた加治川健司さん(5月9日放送のドキュメンタリー番組『100カメ』(NHK総合テレビ)では、加治川さんが「余命と向き合う人」として密着されました)。心残りだった娘の風花ちゃんへのメッセージやがんの体験談、家族との対話と詰め込んだ1冊『お父さんは、君のことが好きだったよ。「余命半年」の父が娘へ残すことば』(扶桑社刊)から、がんになったからこそ、わかったこと、そして伝えたいことを紹介します。

    大切な人には、きちんと言葉で気持ちを伝えよう

    画像: 大切な人には、きちんと言葉で気持ちを伝えよう

    がんになってから最も強く思ったこと。それは、「大切なことほど、伝えたいことは、言葉にして毎日のように伝えるべきだ」ということ。

    言葉が足りなくて、人と離れる経験は、これまでにも何度かしたことがある。前までは、自分の気持ちを口にするのは野暮な気がして、うまく伝えられなかった。

    でも、それではダメだと気がついた。

    人生は短い。本当に大切な人には、きちんと言葉で伝えないと想いは伝わらない。気がついたら、突然病気や事故で死んでしまうこともあるのだから。

    それは、家族であっても同じことだ。「家族だからわかってくれるだろう」なんて、甘えでしかない。

    風花に対しても、がんになってから、いままで以上に言葉を伝えるようになった。自分が、彼女に伝えたいことは主にふたつ。ひとつ目は、「生まれてきてくれて、ありがとう」。ふたつ目は、「最後まで治療することを選ばずにごめんね」ということ。

    だから、娘には折に触れて「君が生まれてきてくれて、本当にうれしい。親にしてくれて、ありがとう」「治療を続けず、病気を治せなくてごめんね」と伝えるようにしている。

    そのたびに風花からは「あぁ、はいはい。わかってるよ~」と言われるので、もはやネタと化しているけれど。

    大切な人とは、できるだけ時間を一緒に過ごそう

    画像: 大切な人とは、できるだけ時間を一緒に過ごそう

    大切な人がいる人は、とにかくその人とできるだけ長く時間を一緒に過ごしてほしい。

    何より自分たち夫婦が自慢できるのは、風花の成長を少しでも見逃さないために、彼女とできるだけ一緒に時間を過ごすようにしてきたことと、彼女の言葉をなるべく聞くようにしてきたことだ。

    我が家は決して豪華な暮らしではないし、夏休みのたびに海外旅行に行けるような家でもない。だけど、「お父さんと一緒にいるのは嫌じゃないの?」と風花に聞いてみたことがある。

    すると風花は「一緒にいるほうが、気が楽だから」と返してくれた。今後彼女が「お父さん嫌い」と言うようになったとしても、それは風花の成長のひとつ。だから、気にせずに嫌ってほしい。それすらも、受け入れたいと思うから。

    「いつかやろう」の「いつか」はほとんど実現しない

    大半の人には人生の終わりは見えない。ゆえに、人生は長いものだと感じると思う。

    だからこそ、「また」とか「いつか」という言葉を口にする人は多い。でも、この病気になってから「実は『いつか』と言っている以上は、『いつか』が来ないんじゃないか」と考えるようになった。

    たとえば、自分には「いつかやってみたい」と思っていることがたくさんある。それらを総称して「いつかシリーズ」と呼んでいるのだけれど、恥ずかしい話だが、死を目前にした自分ですら全然実現できていない。

    余命宣告を受けたいま、考えてみると「いつか」なんてあやふやな日は来ないんだなぁと思う。「いつか」なんて言葉は、大抵の場合、単なるその場しのぎや、面倒くさいから先送りしているだけなんだろう。

    「忙しいからいつかしよう」とか「まだ私には早いけどいつかしよう」の「いつか」は、来ないと想定したほうがいい。「これがしたい」と頭に浮かんだときは、ほかのことに割く時間を犠牲にしてでも取りかかったほうがいいのだ。

    今日のケンカは今日のうちに終わらせる

    画像: 今日のケンカは今日のうちに終わらせる

    病気になってから一番優先順位が高くなったのは、「時間」だ。

    自分の納得できることに、いかに時間を費やして、いかに密度を濃くすることができるかが最も大事なことだと思うようになったのだ。だから、後で思い出したときに「これをやらないと後悔しそうだな」「これをやらないと楽しい時間が過ごせなさそうだな」と思うことは、なるべく早くやるようにしている。

    なかでも気をつけているのが、誰か大切な人とケンカをしたら、できるだけ早く仲直りすること。

    ケンカすること自体は悪いことだと思わないが、もし、相手が大切な人ならば、変な意地を張らずに早めに仲直りするのが大事だと思っている。たとえば、自分にとって一番大切にしている家族である風花とも、時には小さなケンカをすることがある。

    風花が「ごちそうさま」を言わなかったり、約束通りにお皿を片付けてくれないことがあったり。すると、やっぱり親なので、叱ってしまう。叱った後は、当然彼女も機嫌が悪くなるので、二人で険悪な雰囲気になる。

    前だったらその雰囲気を引きずっていたのだが、いまは嫌な関係を1分1秒でも早く終わらせたくて、早く仲直りをしてしまう。なぜなら、お互いに意地を張って、楽しくない時間が増えるのはもったいないから。今日のケンカは今日のうちに終わらせたい。

    明日には絶対に引きずらない。

    風花とも妻の靖子とも、今後も最後までケンカをするのだろうけど、それでもできるだけいがみ合う時間は少なくしたいし、そうなるように日々努力している。

    生きることの大切さを無理に実感する必要はない

    画像: 生きることの大切さを無理に実感する必要はない

    自分の時間が残り少ないとわかってから、一瞬一瞬をかみしめるようになった。

    ふとした瞬間に涙腺がゆるんだり、何気ないひと時がいとおしくなったり。でも、だからといって、ほかの人にまで「一瞬一瞬を大事に生きてほしい」なんて簡単には言えない。

    自分自身、病気になるまでは、そういうことを考えるような人間じゃなかった。50代になって、こんなに重たい病気になって、命が残り少ないことを知って、やっと気づけたことなのだから、ほかの人も同じように理解できるなどとは正直思わない。でも、それでいいんだと思う。

    時間の大切さを感じずに生きられる人生は、それだけいろんなことに余裕があるわけだし、つらい思いもしなくてすむ。そんな人生も、幸せだと思う。

    ただ、たとえ大好きな家族でも、ずっと一緒にはいられないこと。

    命にはいつか終わりが来ること。

    もし、その意味合いに気づく瞬間があったなら、いま目の前にいる大事な人との時間を大切にしてほしい。一緒にいながらも、その先の別れのことを考えるのは寂しいことではあるけれど、一緒の時間がより大切なものに変わるはずだから。

    自分の選択は、自分で決めることの大切さ

    画像: 自分の選択は、自分で決めることの大切さ

    病気になるずっと前から「楽しく生きること」が人生では最も大切なことなんじゃないかと思っていた。

    でも、楽しく生きることは、実はそんなに簡単なことではない。

    人生には楽しい瞬間はたくさんある一方で、楽しくない瞬間、いなくなりたいような瞬間だってやってくる。だけど、そこで諦めないで楽しい時間を作っていかないと、人生がもったいない。

    人生を楽しく生きる上で大切なのが、「自分で選択すること」だと強く思う。

    かく言う自分も、できるだけやりたいことを選択して、いまがある。だから、わりと楽しい人生を送れた気がする。後悔もやり残したこともそれほどない。どうしても感覚的に「これは違うんじゃないか」と思うことだったら、自信を持って断ってもいいんじゃないかと思う。

    その決断は、いわゆる世間の常識とは違うものになるかもしれない。世の中には自分と違う考えの人を攻撃したがる人がものすごく多い。でも、よく知らない人のことはあまり気にせず、自分で決断した自分の人生を生きたほうが、ずっと生産的なんじゃないだろうか。

    世間の言う常識にはとらわれすぎなくていい

    病気になってから、さまざまな出来事を通じて、「常識」というものがいかに当てにならないかを、つくづく痛感している。他人が押し付ける常識にとらわれすぎないほうが、人生は楽しく生きていけるはずだ。

    以前、YouTubeを見た人から、風花の箸の持ち方について「この持ち方は正しくないから、直したほうがいいんじゃないか」と指摘されたことが何回かあった。

    かつて自分が介護の仕事をしていたとき、身体的な理由から箸が使えない子どもをたくさん見てきた。また、なかには、なんとか自己流に工夫して、自分自身で箸を使って食事をとれるようにがんばる子もいた。もちろん、世間で言われる「正しい箸の持ち方」なんてしていない。

    そんな子どもたちをたくさん見てきた身からすると、「お箸を使ってごはんを食べられるだけで十分」だと思ってしまう。

    箸の持ち方を厳しく注意したせいで、子どもが食事を楽しめなかったり、家族の楽しい食事のひとときが台無しになったりするのはちょっともったいない。だから、風花についても、お箸を使って楽しくごはんを食べられて、一緒に楽しくごはんを食べられる人と仲良くできれば、親としては十分ありがたいのだ。

    育ってきた環境や過ごしてきた時間、信仰する宗教、生まれてきた国、誰一人として同じ人間なんていないのだから、常識やリアクションが違うのは当たり前。大切なのは、その違いを理解しておくこと。誰もがそれぞれが確立された一人の人間なんだと心に刻んでおくことが大切なんだなと、改めて思っている。

    日常のちょっとした幸せは、見知らぬ誰かのがんばりから生まれる

    画像: 日常のちょっとした幸せは、見知らぬ誰かのがんばりから生まれる

    病気と向き合う日々を送るなか、何より心の助けになるのが日々の小さな楽しみだ。

    たとえば、毎年秋頃に自分が楽しみにしているのは、千葉の友人から送ってもらう梨だ。この梨がとにかく甘くてみずみずしく、梨の既成概念がぶち壊されるほどにおいしい。「人生でこんな梨を食べたことがない!」と毎回感動してしまう。

    送ってくれる友人の好意に感謝しながら、食べるときに想いを馳せるのが、この梨を作り、品種改良を行ってきた農家の人々だ。これだけおいしい梨を作るために、いかに彼らが情熱を注ぎ込み、長い年月をかけて試行錯誤してきたのだろうかと想像しては、その努力の結実を食べられることを本当にありがたく思う。人類がここまで発展できたのは、きっとこうした知られざる人々の努力の積み重ねがあるからなのだろう。

    世の中は華やかで目立つ人ばかりが取り上げられる風潮もあるが、実は人間のちょっとした幸せというのは、この梨を作った人のように、無名だがコツコツとがんばっている人々に支えられていることが多いんじゃないだろうか。

    風花は将来、どんな人生を選択して、どう社会に関わっていくのだろうか。

    どんな選択をしてもいいのだけれど、社会に参加する以上は「自分も誰かを幸せにしているのだ」という想いを忘れずに、ぜひ風花にも生きていってほしい。

    我慢しすぎなくていい。楽しく生きることを考えよう

    画像: 我慢しすぎなくていい。楽しく生きることを考えよう

    以前、テレビの取材を受けたとき、印象深い質問があった。それは、「風花ちゃんが大人になったとき、どんな大人になってほしいですか?」という質問だった。放送ではカットされてしまったので、ぜひここで書き記しておきたい。

    風花に望むことはふたつある。

    ひとつは「生きていてほしい」。

    生き続けることに希望を見いだせない人に、軽々しく「生きていればきっといいことがありますよ」なんて言うつもりはない。それでも風花には、生き続けてほしいなぁと願ってしまう。親なんて、本当に勝手な生き物だなとも思う。

    極端な話、仮に風花が犯罪者になったとしても、きちんとその罪を償って生きていってほしい。死んで罪を償ってほしいなんて、絶対に思わない。

    続いてふたつ目の望みは、ひとつ目に似ているけれども「楽しく生きてほしい」ということ。

    せっかく生きている以上は、楽しいことをたくさん探してほしい。夜寝る前に布団の中で「今日はコレが楽しかったなぁ」と、振り返れる毎日を過ごしてほしいなぁと願っている。

    「え、たったそれだけ?」と彼女は思うかもしれない。でも父親として、本当に娘にかける素直な望みは、そのふたつだけだ。風花の潜在能力を過小評価しているわけではなくて、達成困難な望みを書いて重荷を背負わせたくないという想いでもない。

    親が子どもに望むのは、案外こんなシンプルなことなんじゃないかと思う。今後の彼女の人生が笑顔と共にあることを、心から願っている。

    病気になっても、生活は続いていく。生きる以上は機嫌よく!

    病気になった後、たくさんの人に会ったけれども、よく言われるのが「切り替えがうまいですね」との言葉だ。たしかに治療して延命することを放棄して、できるだけ心穏やかに暮らすことを選んだ姿は、はたから見ると「切り替えがうまく」見えるのかもしれない。

    ただ、がんになって強く思うのが、「自分ががんになっても、普通の生活はいつまでも続く」ということだ。余命宣告が出たからといって、消費税がなくなるわけではないし、国から補助金が出るわけでもない。

    自分にとって少しだけ「死ぬこと」が近くなったからといって、世界はなんにも変わらないし、社会も止まらず動いていく。家族だって、どんどん状況が変わっていく。だったら、何か特別なことをするのではなくて、普通に生きていくしかない。そして、普通に生きていく以上、なるべくなら楽しいことを見つけて生きていくしかない。

    また、自分のようにいい年をしたおじさんがグダグダ落ち込んでいても、誰も同情なんかしてくれないのもわかっている。もちろん風花と靖子は心配してくれるはずだが、自分が落ち込んで手がつけられないとか、落ち込むあまりに八つ当たりをするとかだったら、きっといくら身内だって嫌がるようになるだろう。いつまでも泣き言を言っていて、大切に思っている家族にすら嫌われるようになったら、最悪だ。

    だからこそ、なるべく「普通」のスタンスで、残りの人生を楽しく生きたい。

    もちろん「普通」を続けることが、一番大変なことだ。

    それがわかっているから、生きる以上は必要以上に悲しまず、愚痴も言いたくない。自分が楽しむため、そして大切な人を不安にさせないために、残りの人生をできるだけ機嫌よく生きていきたいと思う。

    <撮影/山田耕司>

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    加治川健司(かじかわ・けんじ)
    1969年、東京都生まれ。1987年に高校卒業後に自転車で日本一周を達成する。1988年には、カナダ・ユーコン川でカヌーツーリング、チリでパタゴニアトレッキングなどを行うなど、世界での生活を送る。帰国後の1990年に就職をするも、1998年に島根県に移住して林業家となる。2001年に結婚、2012年5月に長女が生まれる。2019年6月、結節性リンパ球優位型ホジキンリンパ腫のステージ4であることが発覚。2回の抗がん剤治療を行うが、がんが再発。その後、悩みぬいた末に治療をしない決断をする。2022年2月、医師から「余命半年」の宣告を受ける。同月、娘に自分の想いを残すために、YouTube「ジャムミント」(https://www.youtube.com/@user-jam-mint)を始める。


    本記事は『お父さんは、君のことが好きだったよ。「余命半年」の父が娘へ残すことば』(扶桑社)からの抜粋です。

    『お父さんは、君のことが好きだったよ。「余命半年」の父が娘へ残すことば』(加治川健司・著/扶桑社)

    『お父さんは、君のことが好きだったよ。「余命半年」の父が娘へ残すことば』(加治川健司・著/扶桑社)

    『お父さんは、君のことが好きだったよ。「余命半年」の父が娘へ残すことば』(加治川健司・著/扶桑社)|amazon.co.jp

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    「生まれてきてくれてありがとう」悪性リンパ腫で2022年2月に余命宣告を受けた父親が、一人娘に在りし日の自分の姿を残そうとYouTubeを始めました。愛娘に伝えておきたい“いのちのメッセージ”とは? 2019年に悪性リンパ腫になった加治川健司氏。その後、2回の抗がん剤治療を行うも、完治には至りませんでした。2020年、3回目の抗がん剤治療を行わない選択をします。そして2022年2月、2回目の余命半年の宣告を受けます。そのとき加治川氏が考えたのは、一人娘の風花さんへのこと。そこで、加治川さんが死を直面して心残りとなる娘さんへの想いを語った加治川家の家族の絆が強く感じる一冊です。



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