• 介護のことはわからないことも多く、不安があるかもしれません。人それぞれ違う介護のかたち。生活研究家の阿部絢子さんに、母親の介護についてお聞きしました。今回は、介護が始まってから施設へ入居するまでの経緯と、実家の片づけについて。
    (『天然生活』2019年12月号より)

    母の熱中症をきっかけに寄り添うように

    「介護なんかじゃないですよ。人間同士がただ助け合っているだけ。たまたま親という存在だから、手厚くしたにすぎないですよ」

    そういって笑う阿部さん。昨年、97歳のお母さま(以下母)を亡くしました。母の暮らしを見つめることになったのは、彼女が熱中症で倒れて入院した89歳のときでした。その後、93歳で大腿部を骨折し、歩行困難になって施設へ入所したとき、そして昨年、肺炎で亡くなったとき。ステージが変わるたび、介護という感覚ではなく、あくまで「ひとりの人間とのつきあい」として、母に寄り添ってきたといいます。

    画像: 母とのやりとりは主に手紙。日常のことなどを綴っていた

    母とのやりとりは主に手紙。日常のことなどを綴っていた

    「当時、熱中症になったのは、エアコンのリモコンの使い方がわからなくなっていたせい。そのときに実家に帰り、改めて消費生活アドバイザーの目で見てみると、あまりに家の中が散らかっていることに驚いたんです」

    両親は大正生まれ。当時にしては珍しく、家事役割分担を実践した夫婦でした。掃除と整理整頓が父。料理、洗濯が母。もともと四世代以上が暮らした家で、先祖が残したものもたくさん。

    きれい好きの父が亡くなって10年以上が過ぎても母は片づけられず、家が荒れ放題になっていたそう。タンスに亡き父のものをしまい、自分の衣服は風呂敷に包んで、廊下に置いているというありさまでした。

    熱中症はすぐに治りましたが、ほかの検査で不調も見つかり、半年ほど入院している間に、阿部さんが東京と新潟を行き来して片づけを進めることに。

    当時は、阿部さんが実家に戻るペースも不定期でしたが、東京での暮らしと仕事の基盤がしっかりしていたので、頻繁に戻るようになってもペースが乱れることはなかったそうです。東京にはヘルパー歴20年という介護のプロの妹の存在があり、互いの立場から、できることを無理なく選んで対応していったそうです。

    「母は、自分で要望をいわない人でした。相手に委ねるというか。たとえば『ごはんつくって』ではなく、実家で私がごはんをつくっていると、『それ、私も食べられるのかしら?』なんて聞いてくる。押しつけがましくないんです。家が汚ないのも自分のせいだと、普通に思っているような人でした」

    いまを暮らしやすくするための片づけと家づくりを

    15年前に始めたキッチンリフォームも「疲れたからやめたの」とひと言。

    「でも、そういわれると、かえって気になってしまって、最後までやりきりましたね。私も妹も、自分が納得したい、心地よくありたいというのがベースにありますので、自分のために動いちゃうのよね(笑)」

    それに人間は生きているときが一番大事。だから、いまを暮らしやすくするために、3つに分けて片づけました。

    画像: 掃除は亡き父の役割分担だったため、荒れ放題になった実家。母も一緒に片づけました

    掃除は亡き父の役割分担だったため、荒れ放題になった実家。母も一緒に片づけました

    第1は、母が大切にしているモノ、コトから。母は長年華道に熱心で当時も現役で教えていて、生きる支えでもありました。そこで、棚をつくってすべてを残すことに。整理は亡くなってからしたそうです。

    第2は日常のもの。使う分さえあればいいので、キッチン道具や食器も含め、家族の分だけ残して処分。

    第3は、先祖代々のものも含む、押入れの中のもの。判断がつかないため、残す残さないは母に決めてもらったそうです。

    「片づけを進めるにあたり、『あなたは今後、余命いくばくもない。それなのに、あんな暮らしをしていていいのか』。そう詰め寄ると、母は深々と頭を下げるの。『お願いされてる?』と問うと、『言葉が通り過ぎるのを待っています……』って! もう、スゴ技の返しです。そんな人でしたよ」

    家は築90年なので、窓も重く、開け閉めも大変。阿部さんがお金を出し、思い切ってサッシに替えました。

    最初の入院中に、病院からケアマネジャーの方を紹介され、退院後の介護度について相談。退院後は掃除と入浴介助をお願いすることになりました。

    「89歳まで介助もなく暮らしてきたわけですから、もともととても元気。華道のおかげで外との交流があったことも理由でしょう。帰ってから教室も再開して、快適だったんじゃないかな」

    数年後に骨折をした際、自宅はもう無理、と判断をしたのは妹でした。
    「いざというときの見極めはプロに限ります。具体的な施設の相談はケアマネジャーに。高額なイメージがありますが、費用の安い、県立の施設が見つかりました」


    〈撮影/山田耕司 取材・文/吉田佳代〉

    画像: いまを暮らしやすくするための片づけと家づくりを

    阿部絢子(あべ・あやこ)
    1945年新潟生まれ。大学卒業後、洗剤メーカーに勤務。独立後は家事をはじめとする生活研究の第一人者として活躍。一方で1982年から2013年まで百貨店の消費者相談室に勤務。2009年からは薬剤師としても働き始める。また海外でホームステイをし、環境問題の研究も。『ひとりサイズで、きままに暮らす』『ぶらり、世界の家事探訪〈ヨーロッパ編〉』『老いのシンプル節約生活』(ともに大和書房)、『ひとり暮らしのシンプル家事』(海竜社)など著書多数。

    ※ 記事中の情報は取材時のものです

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    『ひとりサイズで、きままに暮らす』(阿部絢子・著/だいわ文庫)

    『ひとりサイズで、きままに暮らす』(阿部絢子・著/だいわ文庫)

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